2014年07月28日

2014年8月号  医療ビッグデータを活用しよう! 血圧測定データ活用から切り込む医療健康での成長政策 - 高橋琢磨

『要旨』
アベノミクスの混合医療へのステップは、将来ビジョンを十分踏まえていない。むしろこれまでの医療制度への信頼を崩壊させるおそれのあるものだ。今取り組むべきは、社会的医療コストを低減させるための施策でなければならない。筆者が提言するのは、半ば強制による血圧測定データ活用から切り込む医療健康での成長政策である。それは、最近の医療イノベーションは東日本大震災の経験の中で生まれていることから学ぶことのだ。

『キーワード』
医療制度への信頼、先端医療、ヒューマンエンハンスメント、医療ビッグデータ、白衣高血圧、家庭血圧

いわゆるアベノミクスの経済成長政策に取り上げられた医療健康促進分野での「目玉」は、新聞報道等の取り上げ方をみても、混合医療の推進であり、日本版NIHの本格的運用であるとされる。日本では文部科学、厚生労働、経済産業などの各省にばらばらになっているバイオ医療分野での基礎研究の司令塔、日本版NIHをつくれという旗は、筆者も長年振ってきたという経緯もある 。基礎研究への投資をむだな重複、見落としをしないで効率的、効果的な進め方をすることは非常に重要である。
だが、今とりあげるべきは、医療ビッグデータを利用して経済成長策を練り上げていくことではなかろうか。

バイオメディカル革命の期待と現実

バイオ基礎研究の拡充も重要だが、次のような現実もある。
医療へインプットは費用と投資ということになろうが、イギリスでは、すべてを費用とみなすのに対して、アメリカではあたかもすべてが投資であるかにみてその成果(幾何級数的コストダウン)に期待する。アングロサクソン文化は、これを徹底して考えることに特徴がある。どちらの見方も要素を徹底するという点では同じだが、イギリスではインプットである分母(費用)の方を下げ、いってみれば医療制度をコストセンターの方向で徹底しているのに対し、アメリカでは医療を科学投資の対象と見て、効果的なインプット(分母)によって先端医療を開き、幾何級数的コストダウン(分子)をねらうことに重点を置き、いわばR&Dセンターに徹してきたことであろう。日本はこの中間で、分母と分子のバランスを取りながらコストを削減しながらある程度の先端医療を開拓していくというもので限られた資源の下で効率を志向したものだ。
では、分母へ挑戦し続けてきたアメリカはどうなったのか。クリントン政権時代の医療皆保険法案を巡っての議論で、当時のメルクの会長が「良い薬ができることで、人々を病院、手術室、ナーシングホームに入れずに済み、コスト節約になる」と新聞見開きの広告を載せたことに象徴されよう 。当時沸騰した議論をさばいて、『サイエンス』も薬品価格抑制策は、アメリカのバイオベンチャーを窒息させ、創薬のペースを落とし、医薬におけるアメリカのリードを危うくしかねないものだ」と糾弾したものである 。冷戦後の配当をバイオメディカル革命から得るべきだというのだ。
確かにアメリカでは、ゲノム科学の発達で高度医療の発達や医療機器の進歩では世界一だ。たとえば、UCLAで内科の教授をつとめたことのある政策研究院大学の黒川清教授も紹介しているように、アメリカの病院では指名、紹介などによって最高の医療サービスが受けられる一方、選ばれた医者も歩合給で報酬を受け取り強いインセンティブシステムで運営されている 。トップクオリティの病院、たとえばマウントサイナイ病院で、脳外科手術を受ければ、脳外科手術の専門家はもちろん視神経や言語中枢神経を傷めないよう10名近い各種専門医が立会い、ベテラン看護師などの補助を受けながら細心の注意を払いながら施術が行われる 。だが、それに伴なう医療費の高騰に悩まされ、民間医療保険とその受給者が必至に対応を迫れているという構図になっている。つまり、医療保険と株式会社組織を含む医療機関相互の競争など市場原理をもってしても制御できていない恨みがあるのだ 。つまり、その先端医療が幾何級数的コストダウンかといえば、結果はまさに逆で、コスト増加をもたらした。
ところが、メディケイド、メディケアの拡大でアメリカ社会でも医療がユニバーサルサービスとすることが事実上進んで政府支出が拡大した。このことによって、一人当たりの政府支出額は国際比較上決して小さくなくない。にもかかわらず、政府の負担は47%にとどまっていて、他の先進国に比較しカバー範囲が狭いのだ。それだけアメリカの医療コストが他の先進国とくらべ高いことがわかる。
では、実際のところ高度医療の登場によって医療費はどの程度高騰しているのであろうか。スミス、ニューハウス、フリーランドによる共同研究は、保険の支払い能力に合わせてコスト削減の進んだ定形型サービスの数量増がある一方、一部の支払い能力のある層に支えられ創薬の価格上昇、高度な医療の提供が行われているというのが実態で、高度医療のコスト上昇が1960年からの医療費増加を引き起こしている部分は、従来考えられていたよりも少ない27~48%にとどまるとの分析を示している 。
バイオメディカル革命は起こったのか。冷戦後の配当はあったのか。学界も、コンサルタントたちも、盛んに、そうした囃し方をしてきたが、そうした証拠はない。治療の生産性があがったとか、質が向上したその程度はとうてい革命とよべるようなものではなく、政策立案者たちは、学界やコンサルタントたちのいうことを鵜呑みにすべきではないというのがマイケル・ホプキンスたちである 。ゲーリー・ピサノもまたバイオの30年は期待から期待へという連続に終わった30年だったとの見方を示す 。
その期待を抱ける新対象が、山中伸弥教授のiPS細胞(人工多能性幹細胞)であろう。今iPS細胞が期待されていることに疑問の余地はない。理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの高橋政代氏がiPS細胞を使って作る網膜色素上皮細胞を失明の原因として3番目に多い「加齢黄斑変性」の患者の治療に適用する臨床研究推進のために、関西圏国家戦略特区としてiPS細胞による世界初の臨床研究拠点、神戸アイセンターが設立される。京都大学付属病院も、未承認薬でも治療に使えるという特区の特権を用い、iPS細胞を使った再生医療を進める。STAP細胞騒ぎで、理研も、Nature も傷ついたが、Natureが、高橋リーダーを「2014年に注目すべき5人」の1人に選んだ勢いを押し立てていくべきだろう。
一方、混合医療は、医師会等が反対してきたからという意味で、岩盤規制を突破した措置とハイライトされているが、成長政策とは今のところほとんど関係が少ない施策だ。報道から見る限り、欧米では承認された先端治療を日本での承認を待たずに使用できるようにするといったところに重点があり、日本の基礎研究のレベルをあげるという視点の少ない施策だからである。そうした日本での未承認、つまり承認ラグ下の創薬の多くは癌の治療薬である。癌の発生、症状には、これまで知られているだけでも250以上の種類があり、癌一般の基礎研究が不可能であり、先のピサノも指摘しているように、実に多くの治療法が提言されている。そしてFDAでの創薬承認で近年になり数が増加してきているのも、そうした複雑なものの一部への対応策として創薬されているためだ。
こうした個別医療を目指した動きを自己負担で行うという先鞭をつけるという意味では、それなりの意義があろう。バイオメディカルがもたらしたことの一つは前にも触れたようにコスト上昇であり、保険カバーの高かったヨーロッパの国でもすでに日本では保険カバーされている抗体医薬も国の保険外とするところもでてきている。いずれ日本でも、そうした方向をとらざるを得ないので、その足場になるという評価である。だが、コストと先端医療への挑戦といる微妙なバランスの上に立った制度は、その安全、公正などの理念ゆえに、国民の信頼を獲得してきたものだ。その制度のもつメリットを安易に混合医療導入という形で壊すリスクを今はとらない方がよいのではないか 。

行き詰まるレセプト分析でのコスト削減

課題先進国の日本では他国に増すスピードで高齢化が進み、すでに他国に増して国家財政の国債依存度、GDP比国債残存額が高い。高齢化が進む日本で、膨らみ続ける医療費をどう抑えるのかは、喫緊の課題なのだ。なぜなら政府の推計では、日本の75歳以上の人口は、2015年の1,646万人(全体の13%)から、30年には2,278万人(同20%)に増え、それに伴って12年度には35.1兆円の医療費も、「団塊の世代」が70代後半となる25年度には54兆円に膨らむとされる。個人や企業が負担する社会保険料などを除いて、税金投入分をとると、15兆円から25兆円超に増える。つまり毎年1兆円の財政負担増加が続くことになり、たとえ15年10月に消費税率を10%に引き上げても、増税分では社会保障費を賄いきれないのだ。年金や介護を含む社会保障費全体では、11年度の109.5兆円が、25年度には148.9兆円に増える計算で、さらに財政破綻への道へのわだちが軋む。
 政府は、財政破綻を避けようと、これまで、国および都道府県等が協力し、生活習慣病対策や長期入院の是正など計画的な医療費適正化に取り組むとして、さまざまな手法をもちいて医療費の伸びを抑えようとしてきた。そして、居住系介護施設が不足し、このままでは現行システムが破綻しそうな中で、たとえば異色の経歴をもち医療法人鉄祐会を率いる武藤真祐氏が石巻市に在宅医療診療所を開設し、震災で被災した患者を看る中で開発した、クラウドなど最新のICTを駆使し、効率的な在宅医療、そしてその延長での在宅介護のビジネスモデル、システムといったものを、高齢化が進む首都圏では広域単位での連携が求められなど、地域によって修正が必要であろうが、他地域に応用していこうとしている。脳卒中対策などの事業ごとに、急性期から回復期、療養、介護等に関係する各機関による具体的な連携体制の形成によって切れ目のない適切な医療の提供も謳っている。
こうした施策は、たとえ武藤医師の開発したモデルがイノべーティブであったとしても、いずれも冒頭で述べたR&Dとコストの間でバランスをとってきたという日本の医療政策の伝統の中にあったものだ。電子化された医療情報の「ビッグデータ」を解析して診療のムダをあぶり出して、過剰診療、過剰受診をなくすよう地方自治体に圧力をかけたり、薬価改定で定期的な引下げを図ったりする施策もその一つだ。
レセプトに記された病気の名称や通院の回数、処方した薬の種類や量など膨大なデータをコンピューターで解析し医療費の節約をしている自治体に、広島県の呉市がある。呉市は、全国でも最初に、こうした取組みを展開した自治体として知られる。08年以来、毎月9万枚のレセプトを解析し、保険年金課の看護師を過剰受診と思われる患者説得をする独自の取り組み、たとえば、同じ病院に何度も通ったり、薬をもらいすぎていたりする患者を割り出し、その患者を説得し医療費の節約へと導くのだ。直近の11年度にも約1.5億円の医療費節減を果たしている。
政策の基本方針となる「骨太の方針」原案では、「聖域なき見直しが必要」として、都道府県ごとの医療費の数値目標を掲げ、「呉方式」を全国に広げて医療費のビッグデータの活用を促そうとしている。そこで、政令市の中で最も市債への依存度の高い千葉市は、こうしたプレッシャーをうけて、東京大学の須藤修教授の研究グループと協力して、市民の診療明細や市民税などに関する膨大な電子データ、いわゆるビッグデータを分析し、今後の医療費の削減や財政の健全化の方策を探ることになった。
「骨太の方針」での数値目標は、75歳以上1人あたりの医療費で抑え込むという形もあり得る。厚生労働省の調べ(2011年度)では、最も多い115万円の福岡県と最も少ない73万円の岩手県では1.6倍の開きだ。医療実態の精査も必要だろうが、大いに改善の余地がありそうだ。入院日数でも、現在すでに全国平均の36日を最短の長野県の27日と比較し、15年には格差半分へ、つまり平均で4.5日短縮という数値目標を掲げて各自治体へ圧力をかけている。自治体によって人口構成が異なるという声には、まずは75歳以上という群が対象になろう。75歳以上の平均入院日数に関しては、山形大医学部が今年3月、県内の主要13病院医療データ解析から得た「13.5日」から「40.5日」まで3倍の開きという報告がある。手術費や入院患者1人あたりの病院の収入でも大きな差が見られた。ここにレセプトのデータ解析を通じて、コスト削減のための施策を適用していくのだ。
こうした取組みを、都道府県国民健康保険団体連合会や保険者に対してレセプトや特定健診などデータ分析によって、コスト削減にとどまらず、さらに高度に適用することで効率的に事業を行なうよう仕向けるのが、データヘルス計画だ。厚生労働省は、13年6月の閣議決定に基づき、データヘルス計画のモデルを2015年度中に作成することを計画する一方、すべての健康保険組合に対してこのモデルを参考にして、データヘルス計画の作成と実施を求めている。第1期の実施期間を2016~18年度と定め、19年度以降は5年サイクルで実施する計画である。
こうした国の動きに促される形で、民間からも、例えば日立健康保険組合と日立製作所が14年3月に、約11万人分の特定健診やレセプトの情報を活用して、集団における生活習慣病の発症率と医療費総額を平均誤差5%で予測するモデルを開発するなどの動きもある。だが、ヨーロッパでは、単なる分子重視対分母重視の議論から抜け出て、まず、分母側を見る際に、単純なコスト抑制という立場ではなく、治療結果(=分子側)と合わせた形で、最も望ましい治療が行われるような「メカニズム」を取り入れる「患者にとっての価値」ベースの医療サービス(VBHC)が始まっているが、多くの医師や患者が最新の研究成果の恩恵なしに、日々の診断を行ない、治療を受けている現実がある。つまり、日本でも次に呼べるように医療標準化への取り組みが進められ、どの治療法がどんなときに最も効果的であるかをしっかりと把握し、その最も良いと判断された治療法をどんどん現場で使っていくよう奨励されてはいるが、日本では、大学の医療教育があまりにもローカル化している現実を追認しているためだ。
医療の標準化で期待されるのは、まだ外交レベルでの合意ができただけで現場での進展がないが、アメリカとEUとの協調だ。というのは、こうした二つの基準に立ちながら、「どのような治療がなされたか」「その治療結果はどうだったか」というデータの組織的に収集して、それを活用してきたのはスウェーデンである。同国では1970年代から、さまざまな疾病に関して「レジストリー(Registry)」と呼ばれるデータ収集が始まっており、うち22レジストリーでは全国の患者数の85%以上を網羅できるようになっている。
レジストリー利用の効果をいうのに登場する例が小児の急性リンパ性白血病だ。このケースでは、レジストリーのデータ収集が始まるまで、この病気と診断された患者の5年生存率は、12%に過ぎなかったが、その後、他の病院、医師の治療方法とその結果を、医師間で共有するようになったことで、データ収集開始後10年間で、生存率は47%に上がった。スウェーデン国内での標準的治療方法が確立されてからの生存率は、87~89%だ。
見習うべきは、スウェーデンのベストプラクティスが現在からみればビッグデータの活用から生まれたということだ。国際比較から制度改善に取り組まなくてはならない医療技術における標準化、その普及を図っていくためには、医療技術の簡素化も欠かせない。
だが、医療行為は医者と患者の同意で行われている。診療や投薬が本当に正しいのかは医者の判断に委ねざるを得ない側面もある。つまり、「必要な治療」と「ムダな治療」の間で線を引くことは難しいのだ。
それでも、アメリカで、医療サービスへのアクセスや内容を管理し、制限することで、医療コストを抑えながらある程度の品質を保ったサービスが提供できるようする工夫であるHMOが盛行しているように、レセプトのデータ解析は費用が妥当かを具体的に検証する出発点であることには間違いない。
また骨太方針では市場価格に合わせた薬価の公定価格の引き下げなども謳っている。だが、薬価の頻繁な改定は取引コストを引き上げるという側面もあり、創薬メーカーからの反発もある。そして、R&Dモデルにもマイナスだ。小泉政権は社会保障費を毎年2,200億円抑制する目標を掲げ、医療の公定価格である「診療報酬」の切り下げにも踏み切った。だが、医師会の反対が起こったり、各地で医師不足が深刻化したりしたことなどを受け、結局、目標は撤回された。レセプト分析でのコスト削減策には限界もあり、行き詰まることになろう。それを解決するのは、エビデンス診療だということになろう。

血圧測定で「団塊の世代」の健康な老いを看守る

経済成長政策としての医療・健康分野での最大の課題は、「団塊の世代」をして、できれば活発に社会参加をしてもらいながらいかに健康で70代後半を迎えさせ、やがてぽっくりと亡くなってもらうかを構想することではなかろうか。
東京大学の高齢社会総合研究機構の執行委員を務める秋山弘子教授などは、高齢者の追跡調査をする中で1割以上の人が社会の中でそれなりの参加の機会をもち寿命をまっとうしぽっくりと亡くなり、7割前後の人が自分の生活活動を最低限確保しながら老いを迎えており、残りの2割が病気になったり、身体や精神が衰えたりして介護を受けなければならないとの観察結果を報告している。いかに「団塊の世代」をして、2割の中に入らないようにするのか、いかにトップの1割になるよう頑張らせるのかが課題になろう。
もちろん政府も、日本再生プランでは国民の健康寿命だと謳っている。すでに、医療費の伸びが過大にならないよう15年までに糖尿病等、生活習慣病の患者、その予備軍を25%減少させるという目標も掲げてきた。そして、再生プランでは、健康促進、病気予防にヘルスケア保険のポイント支給や現金給付をすることも考えるといっている。
政策論としては過不足ないという見方もできよう。だが、それで動くのか。糖尿病等、生活習慣病といっているのも気になる。また「骨太の方針」がかりに75歳以上の1人あたりの医療費を目標に掲げるとすれば、そのための準備が必要のように思われる。なぜなら費用を引き上げている原因に終末医療があるが、終末医療への考え方を整理し、社会的通念の形成が形成されていくためには、先に触れたような老齢社会の構想が人口に膾炙されるようになることが必要といえるのではないだろうか。
ここでは、糖尿病という切り口の問題点だけをとりあげよう。確かに糖尿病が重くなり、それが透析を必要とするような段階になれば一挙に医療費は膨らむ。その意味で、患者個人だけでなく、社会にとっても、糖尿病を見つけ、それを完治させることは重要であり、糖尿病にならないよう肥満、メタボリック症候群を防ぐことも必要になってくる。NECは血液を採らずに血糖値を計測できる簡単なデバイスを開発し、上市している。一方、ノバルティスは、グーグルのウェアラブル技術を取り入れ、阿弥陀が含むブドウ糖の量を検出するコンタクトレンズを子会社で開発し、FDAの承認を得て糖尿病患者のモニタリングとしての製品化を目指している。
だが、死因の第一にWTOが挙げているのは、脳溢血など心・血管系の病気だ。日本でも癌とともに死因のトップを形成する。その入り口にあるのが高血圧症であり、その高血圧症の研究や家庭計測器の開発では世界のトップレベルにある。血圧を測定しながら高血圧症の課題を追及していく中で糖尿病への対処も可能になる。これらを組み合わせた予防システムが開発できれば、WTOの指摘のごとくグローバルに売込みができる商品になる。経済成長策として考えない手はあり得ないのではないか。
では、何がトップレベルにあるといえるのかを手掛かりに議論を進めよう。先にバイオメディカル革命はなかったという議論なり見方に触れた。新しい創薬が個別医療に近い癌治療薬以外枯渇していることも触れた。この裏側は生活習慣病・慢性疾患ではほとんどのニーズが満たされたということである。つまり、その分野では、既存の医薬品が十分に役立ち、ジェネリック医薬品が適用できるのだ。アメリカではジェネリック価格は1年目に75%、2年目には36%にまで低下し、2年目でも55~60%レンジにとどまるヨーロッパ諸国と比較して厳しい。パトリシア・ダンロンはアメリカのジェネリック市場が薬剤師主導であるのに対し、他国では医師の処方基準のため医師主導市場になっている違いが大きいとする 。日本でもジェネリック利用の拡大策が考えられるべきだ。なぜなら将来的にはジェネリックの価格引下げでミニマムの医療アクセスが保たれると考えられるからだ。
また慢性疾患のニーズが満たされるに際しては、スタチンの発見など、酵素技術に優れる日本の創薬メーカーの貢献は大であった。だが、それは過去のことで、今後の成長戦略には関係がない。そこで、2009年版に代わる「高血圧治療ガイドライン2014」(JSH2014)の意義から説くことにしよう。
血圧の測定には、診察室計測と家庭計測の二つがあることが知られているが、JSH2014では、診療室血圧と家庭血圧に差がある場合には、家庭血圧による高血圧診断を優先させることになった。家庭血圧の予後予測能をはじめとする臨床的価値が、診療室血圧より高いことを実証したエビデンスが日本で蓄積されていたからである。欧米のガイドラインで、家庭血圧の診断能力を診察室血圧よりも高く評価している例はなく、米国合同委員会やWHO/ISHガイドラインも追随したものという意味でJSH2014が世界をリードする形になっている。
 診察室計測と家庭計測では、後者の方が5~10低いことが知られており、JSH2014では高血圧の診断に家庭計測で135/85が、診察室計測では140/90が高血圧の分岐点とされた。したがって高血圧の診断には、この測定方法の違いによって4つの血圧群に分類することができることになる(図表1)。

図表1  血圧測定による4つの血圧群
  診察室計測血圧=140/90
             低い           高い

仮面高血圧
(モーニングサージ・
夜間非降圧)

本態性高血圧   

正常域血圧



白衣高血圧
(問題なし)
(Ⅱ型糖尿病)











       (出所)JSH2014を参考に筆者作成

家庭血圧に関しては、東北大学の今井潤教授の、いわゆる大追研究から、これまでも①診察室の血圧だけでは分からない高血圧がある、②より正確な計測になるなど、その重要性が指摘されてきたが、家庭血圧と診察室血圧を比較検討するなかから、“隠れた高血圧”を見つける手段にもなっている。その一つが「白衣高血圧」だ。これは、診察室で医師などに測定されると血圧が高くなる病態で、白衣高血圧は高血圧全体の2割程度とかなりの頻度でみられるが、緊張で一時的に上がっているためで、治療が必要ないケースがほとんどだ。とはいえ、Ⅱ型糖尿病の発見につながることもある。
反対に、診察室で測る血圧が正常でも、家庭で測ると高くなる人もいるが、この医師には見えにくい「仮面高血圧」は、危険な要素が強い。健康診断では正常血圧だったとしても、普段から血圧が高い状態が続くと、心肥大や腎障害などの臓器障害が進む危険もあるからだ。仮面高血圧のなかでも、朝方に血圧が高くなる「モーニングサージ(早朝高血圧)」は、自治医大の刈尾七臣教授などが東日本大震災の被災者を診察しているなかで見つけた現象で脳卒中や心筋梗塞の発症に大きく関わる危険なタイプの高血圧である。一方、一般の人では夜間就寝中は10~20数値が下がるが、この低下が起こらない夜間非降圧症(non-dipper)も仮面高血圧の重要な症例のひとつだ。JSH2014で家庭血圧として、「晩(就寝前)」とし、朝の測定についても、「起床後1時間以内」「排尿後」「朝の服薬前」「朝食前」と細かに規定しているのは、そのためだ。たとえば、早朝高血圧が見つかれば、長時間作用型の薬に変更したり、服薬時間をずらしたりするなどの対応が必要になろうからだ。
さて大迫コホート研究とは、岩手県の花巻市にある県立大迫病院を拠点に住民の健康意識を向上させることを何かできないかと1986年に東北大学の今井教授たちによって始められたものだ。研究の過程で乏しい研究費を算段して、血圧計を購入し最終的に配布された家庭血圧計は3,000台だった。現在日本に家庭用血圧計は4000万台あるとされ一家に一台、高血圧患者の77%が血圧計を保有し測定しており、24時間自由行動下血圧測定(ABPM)ができる安価な機器も発売になっている。
大迫研究を振り返って、今井教授は、医療費の伸びが低いこと、総死亡が減少し、結果として住民の健康寿命が延びたと総括する。総死亡の内訳をみると、脳血管死は横ばいだが、癌による死亡は明らかに減少した。これは家庭血圧などを用いたアクティブな健康意識への変化が、癌などの早期発見、早期治療にも結びついたものと考えられると付言している。今井教授は、大迫研究を基本にこれを病気、疫病そのものに還元しなければならないと考えて、HOMED-BP研究を始めている 。
一方、国際医療福祉大学・三田病院の佐藤敦久教授は、この家庭血圧測定が普及しているという好環境をいかして、高血圧に伴う心臓病や脳血管障害などの合併症があまりうまく予測できないが、家庭血圧を用いれば高い精度で予測できることが分かった大迫研究の成果を実施に移していくべきだと主張する。そして、家庭血圧を腕時計型のスマートフォンに置き換えて行けば、ABPMとなって心拍数や血圧を24時間計測するだけでなく、歩行記録から消費カロリーの推定値を出せ、NECの血糖値測定器のような機能を組み込めば、さらに多くの健康データが収集できる。単にアップル、単にDeNAではなく、公共財としてのビッグデータとして用いる手立てをすべきだというのであろう 。
確かに日本の健康保険の組織はアメリカのHMOなどと比べても単位が小さ過ぎ、そこでビッグデータなどといってもビッグデータになっていない惧れ大である 。医療の先端での発見も、先に見たように、東日本大震災という危急の環境の中で半ば強制されたデータ収集の中で行われたものだ。75歳以上のプロファイルを見るためには、半ば強制した形で健康な者から病める者までの幅広いデータをとる必要がある。ジェエリックの処方がどんな効果なり影響を持つかの追跡でも、相当に広いデータベースが必要だろう。単なる自主性に任せていては真の「データヘルス」に到達しないのだ。
東京が、関西地区の国家戦略特区に対抗して、半ば強制されたデータ収集をうたう医療ビッグデータのプロジェクトを取り上げるには、今や時期が遅すぎるといえるのだろうか。

アジア大の健康プログラムに仕立て成長戦略とする

生活の向上にともない、アジアでも現状のワクチン中心のものから生活習慣病・慢性病に変わっていく。高齢化もアジアでも進展しているが、日本の跡を追って、加速するだろう。
だが、この分野はアップルの腕時計型端末の生産台数が月300~500万台と予想されているように、変化が急速で、大迫研究の成果、モーニングサージを発見した刈尾研究の成果を一挙に織込むことも可能になる。
だが、DeNAの動きも、ソニーの動きもばらばらのように見える。パナソニックはこの分野から撤退し、オムロンやテルモには機敏さが欠け、日本はアップルやサムスンに敗れる可能性もある。アップルは、腕時計型端末には新OSを搭載し、他社製のデータも取り込みを可能にし、様々な健康データの受け皿になるようにデザインしたという。おそらく、デジカメとスマートフォンの間でおこっているのと同じように、測定精度と利便性のトレードオフが起こっているのだ 。ふだんから家庭血圧を測り、高血圧を早く見つける契機をつくるという意味では、大量生産の腕時計型端末はしばらく入り口商品に留まり、多少とも本格的に遂行していくには専用血圧測定を必要とするかも知れない。
だが、大量生産の腕時計型端末の性能が急速に上がり、日本、アジアの展開は同時に進めなければならないことも考えられる。そうした場合、日本が、そうした動きに対抗できるだけのスピードで展開できれば、それはそれでよいが、リコーが企図しているように、アップルなど市販の端末を利用し、家庭計測の実施プログラムを進めることを優先すべきかも知れない。
いずれにせよ、日本がアジアに持ち込むことができる本格的なプログラムにするは、複合的にアプローチしていくことであろう。人種に拠ってSNPとよばれる遺伝子発現の違いによって薬の効き目に違いが生じ得る。だが、同じ糖尿病でもアジアでの発症はタイプが欧米と異なる。たとえば、欧米人には36 % と、高い確率で現れる糖尿病を引き起こしやすいSNPが日本人ではその10分の1しかない。同じような傾向がアジア人には見られることに注目したい。
高血圧でも、糖尿病でも、食事療法、運動療法が欠かせない要素となっている。高血圧での減塩の1日9グラムというJSH2014のガイドラインは厳しすぎるという印象だ。糖尿病では、現在のところ、食事制限と運動をしないと完治せず、この二つの負荷に耐えられない人が多いからだ。その点で、高血圧では、JSH2014には失礼だが、食事制限と運動を代替できるほどに飲み薬の効き目が上がっている。
だが、糖尿病でも、運動や食事制限ができない糖尿病患者に対し効果の高い薬の開発につながるというアディポネクチン受容体を活性化させる物質が東大の門脇孝教授によって発見され5年以内に臨床試験に入るという。このことは、日本の創薬企業にとっての朗報だろう。さらに言えば、患者や医療保険制度はもちろん、輸入超になって競争力を失ってきている日本の医薬品業界の朗報ではないだろうか。なぜならそしてアジアの糖尿病患者候補は、日本人の1000万人に対し、中国9000万人、インド6000万人と規模が大きいだけでなく、上記のように日本とほぼ同じ患者プロファイルになると見込まれることだ。日本がアジアで唯一の創薬メーカーであることに加え、アジア人種の特性を活かした治療方法も含めて総合的なアプローチができる体制をつくることができれば、欧米メーカーに勝つこともできるだろう。
日本では腎透析を必要とするなど糖尿病の重症化が起これば5000億円の医療費の増大を招くと、重症化阻止への取り組みが始まったばかりである。一方、国立循環器病研究センターの予防医学・疫学情報部の西村邦宏室長らの研究チームが、心筋梗塞などの冠動脈疾患が10年以内に発症する危険度を予測するスコアを日本人向けに新たに開発した 。いずれも、脂質異常、血管系疾患など共通の切り口とともに相互の因果関係について、蓄積されていくビッグデータを解析していくことによって、検証され、見直しが進むことを示唆している。言い換えれば、これまで見てきた高血圧からのアプローチの中に組込む体制がそれだけ整っていくといえるのだ。
一方、タニタがインドで健康食の指導などを初めているなど個別的な対応行われている。こうしたアジア社会経済の雁行形態的な発展の特性を活かした営業をするためには、予防から治療までシステム化した形の中での分業ができる体制を早期に築く必要がある。高齢者の治療でのポイントは、合剤の合理的な使用であろう。先に見た呉市の指導した患者の中には同じ病名で同じ病院に月15回以上、3カ月通院した人が483人いた。これらは明らかな過剰受診だが、高齢者が5つも6つもの処方箋を受けることは珍しくはない。高齢者になると、いくつかの生活習慣病・慢性疾患が現れ、それらへ処方された薬剤をもれなく飲むことは、患者本人にとっても負担だ。事実、国際医療福祉大学の佐藤教授の調査では薬剤が増えるほど、そして飲む期間が長くなるほど、薬は飲まれない。それだけ無駄が発生し、医療の効率性が落ちているのだ。医薬品会社にとって合剤をつくること、医師の処方したそれぞれの薬剤の効果を見据えながら、薬剤師が合剤を処方するといった体制改革も必要になろう。薬剤師主導になれば、成分が同じで価格が安い後発薬の利用を促
されることになろう。
だが、高齢者社会においては、いわゆるヒューマンエンハンスメントの恩恵を自から刈り取るべく、自分の健康管理を自らが主管できる体制を構想する必要があるのかも知れない。いずれにせよ、日本が血圧測定を糸口に築き上げた健康促進システムをアジアに展開できるものに仕上げていくことが成長政策になろう。

(参考文献など)
1.髙橋琢磨「バイオテクノロジー産業の特徴:日米比較から」生命科学産業政策研究フォーラム(東大先端経済工学研究センター、企画および発表、1999年)。「アジアを代表する創知のセンター建設へ」『私家版マニフェスト:土建国家からエコ/創知国家へ』(2009年)は総合科学技術会議の本庶議員によって全員に配布された。
2.Merck&Co. Inc.”Open Letter from Merck and Company, Inc.” New York Times, (Feb.19,1993)
3.P Abelson, “Improvements in Healthcare,” Science 260 (1993)
4.黒川清『大学病院革命』日経BP社、2007年。
5.こうした姿は経営学者、故ピーター・ドラッカーが21世紀の専門家、プロフェッショナルのモデルでもある。
6.髙橋琢磨『苦悩し変貌するアメリカ』http://www.amazon.co.jp/dp/B00DJ7V0VO/、 2013年。
7.S. Smith, J.P. Newhouse, and M.S. Freeland, “Income, Insurance, and Technology: Why Does Healthcare Spending Outpace Economic Growth?, Health Affaiars, Sep.-Oct.,2009
8.Michael Hopkins, et al. “The Myth of the Biotech Revolution: An Assessment of Technological, Clinical, and Organizational Change,” Research Policy, 2007.
9.Gary P. Pisano, “The Evolution of Science-based Business: Innovating How We Innovate,” Industry and Corporate Change, vol. 19(2)
10.今中雄一「混合診療と医療改革・下」『日本経済新聞』2014年7月25日朝刊。
11.Patricia Danton and Michel Furukawa, “Cross-National Evidence on Generic Pharmaceuticals: Pharmacy vs. Physician-Driven Markets,” NBR Working Paper #17226, July 2011
12.HOMED-BPは、東北大学を核に、日本全国の約500人の医師の協力を得て、患者登録をしていき、一人7年追跡することで、家庭血圧をどこまで下げたらいいかという目標値を全国規模でつくるというのが狙いとした研究である。予定では、全部終わるのに10年位を要する息の長い仕事で、当面の対応というわけではない。
13.アップルはメイヨークリニック、クリーブランドクリニック等との提携を、DNeは生活習慣病と遺伝子解析の結果と結びつけアドバイスする視点で東大医科学研究所との提携を発表している。
14.飯塚敏晃「患者の視点で考える医療情報の開示」『NIRA対談シリーズ38』2008年11月。
15.カメラの大量生産の意義については、髙橋琢磨『戦略の経営学』(ダイヤモンド社、2012年)を参照のこと。
16.冠動脈疾患のリスク評価としては、米国で開発された「フラミンガムリスクスコア(FRS)」が広く用いられてきたが、心筋梗塞の発症率が欧米人と比べ2分の1以下である日本人には不正確な評価だと指摘されていた。そこで、研究チームは、年齢、性別、喫煙、糖尿病、血圧、LDLコレステロール、HDLコレステロール、慢性腎臓病(CKD)-の8つの危険因子を点数化し、その合計点でリスクを予測できる「吹田スコア」を開発した。

posted by 高橋琢磨 at 11:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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