2014年06月26日

2014年7月号  「法の支配」とASEAN経済共同体の発足 - 高橋琢磨

 【趣旨】
日本のアジア政策の中で、経済共同体を目指すASEANへの対応はかつてなく重要になっている。ASEANの発展がアジア経済社会の深化をもたらすだけでなく、日本ASEAの良好な関係が、対中関係の打開の糸口にもなるからだ。経済の依存関係の深化も重要ではあるが、今必要とされる切り口が、EU設立の理念ともなった「法の支配」の理念の共有だ。迂遠なようで、ときには煩雑だと受け止められることもあろうが、将来を見据えながら自国の立ち位置を確認するという意義がある。混乱のタイにも適用が可能だ。

【キーワード】
「法の支配」、ASEAN経済共同体(AEC)、米中関係、雁行形態での先頭の日本、民主主義、タイの憲法、公共財としての日米同盟

1.域内関税撤廃で始まるAEC(ASEAN経済共同体)

反共同盟として始まったASEANは、時代の変遷とともにその性格を変えてきたが、1997年のアジア金融危機を契機に経済共同体構想が動き出した。
AECは、アジアの中で中国、インドという大国が誕生し、このままでは大国の草刈り場になりかねないとの意識から、6億人、総計2兆ドルの規模をもつ統一市場をめざし、まずは、①関税撤廃で始められた。これと並行しながら、②知的財産権保護といった政策での共通化(harmonization)、③域内での格差是正を目指す公正な経済開発(equitable economic development)を達成することで、2020年には域内総生産が4.5兆ドルと倍増させ、④FTAによってグローバル経済への統合ができる体制を目指す 。
まずは2015年末までに域内関税を撤廃することを達成することで、ASEAN経済共同体(AEC)の発足と位置づける。先行するシンガポール、マレーシア、タイ、ブルネイ、フィリピン、インドネシアの6か国は13年末で対象品目の99%の関税を撤廃しており、撤廃は指呼の間にある。
一方、後発のベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオスも、ASEAN事務局長に就任したベトナム出身のレ・ルオン・ミンも指摘するように、一定の存在感を備えてきたことは確かだ。すなわち、09年時点では、この4か国のGDPは地域全体の6%に過ぎなかったが、13年にはほゞ12%と、倍のウェートを占めるまでになっている。ただ途上国の常で、国民への課税が困難で財政の関税への依存度が高く、関税撤廃へのハードルが高い。それでも、消費税、奢侈税などの増税と組み合わせ、18年までの関税をすべて撤廃する計画だ。
関税撤廃で始まったAECは、モノの移動の自由化ではほぼ目標通りであり、相互協定によってタイ、ベトナム、ラオスの間ではシームレスのトラック輸送が可能になるなど、通関の簡素化などでも進展が見られる。これを利用して、たとえば日本の運輸大手の日進は3か国横断運輸サービスを開始している。一方日通は、通関手続きは残っているが、国際的な鉄道を利用して、トラックにはできない、大型コンテナ輸送をマレーシア、タイ間で始めた。
ヒトの移動の自由化でも、短期滞在のビザ撤廃ではミャンマーなど一部を除き実現しているが、熟練労働者などの移動の自由に関しては、自由化すれば先進地域に人材が吸い上げられてしまうのではないかとの懸念も強く、具体策を検討できるまでになっていない。サービスの自由化でも、14年に開かれた財務省会議で加盟国の金融市場の統合を加速することで合意したが相互進出の自由化など具体策は出ていない。小売などでも15年末までに出資比率の上限の引上げを目指すことを申し合わせたが、各国ばらばらの規制への統一基準等が示されてはいない。
 ゆるやかな統合を目指すAECは、同じ共同体でも、条約によって成り立ち、ECコミッションという司令塔をもつ、EU(欧州共同体)とは大きく異なる。すなわち、域内の主要6か国をとっても、一人当たりGDPで5万ドルを超えるシンガポールから1000ドルに満たないベトナムまで、きわめて大きな格差がある。政治体制も、直接選挙で選ぶ大統領制をもつフィリピン、インドネシア、議会内閣制のシンガポール、立憲君主制のタイ、カンボジア、共産党独裁が続くベトナムまで多様な形をとり、タイを除けばいずれも植民地からの独立国で、民主制の伝統もない。
一つの物差しでは処しきれない格差と多様性をもった共同体では、それぞれでなければ成りたたないとされるが、ミンASEAN事務局長は、まずは政治・安全保障、経済、そして文化・社会という3本柱での課題に優先順位をつけて取組み、国家、地域レベルの行動連携を改善していきたいと決意表明している 。換言すれば、首脳会議をASEANの意思決定機関と位置づけながらも、政治的には相互内政干渉をしないという原則で動いている。
にもかかわらず、現在のヨーロッパ連合の基礎として「法の支配」が謳われている。アジアでも「法の支配」によってヨーロッパの安定を得ることは可能なのかを問うてみたい。
「法の支配」を提唱したのは、オックスフォード大学の憲法学者(ヴァイナー講座担当教授)のアルバート・ダイシーで、1885年に著された『憲法序説』はそのバイブルとされる。故伊藤正巳とともに同著の翻訳者になった筑波大学名誉教授の田島裕は、『議会主権と法の支配』を上梓し、民主主義とは国民に国家主権があることを意味し、その国民の意思は議会を通じて確定されるとし、法の支配が議会主権、民主主義の根幹となっていることを説明する。イギリスの議会は、万能の権力をもっており、法律を制定することによって、国民の生命を奪うことすらできる生殺与奪の絶対権利をもっていると、その議会主権の権能を表現している。

2.大国、中国の台頭でためされるASEANの「統一」

 なぜアジアで「法の支配」なのか。それは、南シナ海では中国が一方的に水産資源の豊富なスカラボー磯周辺の漁業権の設定しフィリピン漁船の締め出しを図ったり、ベトナム経済水域である西沙諸島付近で石油掘削作業の開始をしたりして、ASEANのメンバーであるフィリピン、ベトナムの領土権をおかそうとしており、これを念頭に関係当事国に自制と武力の不行使を促し、法的拘束力のある行動規範の早期策定に取り組みたいとしているからだ。
ところが、中国は、国内法で領有を宣言し、軍を送り占領し市長を任命することで南沙諸島の領有に正当性があると主張している。尖閣諸島についても、全国海洋工作領導小組では、日本が尖閣諸島の国有化した後に中国領土であることを示す海図を国連に提出し「受理」された。
こうした中国の奇異な行動の「理論化」の背景をなすのが、清華大学の当代国際関係研究院長の閻学通の「国家利益論」である。閻は、国家利益に階級性はない、国家利益と個人利益は統合される、国際利益は国家利益が変形したものだともいっている。つまり閻にとって国益とは、どこまでも国益であり、個人をも否定し、国境をも超え得るものなのだ。「主権は国境を越える」というのだ。
こうした閻の主張を下敷きにすると、ベトナムの経済水域で一方的に石油掘削の杭を打ち込み、ベトナム当局が介入しようと海保の船を送り込むとそれに数倍の艦船を対峙させ「我が国は「国際法」にのっとり、行動しているのであり、その行動を妨げる行為は断じて許されない」などと、あたかも自国に正当性があるかのように外務報道官などに発言させる、中国の奇異な行動の背後も見えてくる。それは、現行の国際法に則って行動しなければならないとすれば、エネルギーや漁業資源の獲得ができない。そこで、力ずくの資源獲得、領土拡大を「正当化」するのために勝手に閻流の「法理論」が生み出され、それがあたかも本物の法であるかのようにふるまっているのだ。そして本物の法であるかのような法が、中国の官僚、軍をして力ずくの行動をとらせているのだ。
中国海軍は、日本列島から沖縄、台湾へとつなぐ防衛ライン、「第一列島線」の内側を2000~10年ころまでに内側での制海権を確保することを、そして目標として掲げていた。次の10年で小笠原、グァム、インドネシアを結ぶ「第一列島線」の内側にあたる西太平洋での制海権を確立することを目指している。この戦略は鄧小平に重用され、海軍出身ながら軍事委員会副主席にまで登りつめた劉華清が策定し、軍事委員会で承認されていたものだ。そして、単に南シナ海、尖閣諸島の領有にとどまらず、オホーツク海からアンダマン海に至るまで半閉鎖海になっている東アジアの海の全領域を内海にしようと、中国は、これらをチベットや台湾と同列に扱うようになっているとの見方が強まっている。
ASEANでは地域安全保障をめぐって域外との同盟関係を認めず結果として大国の関与が拒否できるのではないかとするインドネシア、マレーシアなどと、域外大国の関与を引出し積極的にチェックアンドバランスを図るというシンガポールに代表される立場の違い、があった。カンボジアやラオスなどが中国の属国のように振る舞っているが、中国の台頭によるASEANへの圧力が明確になる中で次第に、大国、インドネシアが後者の立場をとるようになってASEANの意思統一がかろうじてできている。

3.公共財としての日米同盟

シンガポールのいう域外の大国によるバランスとは、中国と、日本、アメリカとのバランスであることはいうまでもない。
安倍晋三内閣は、靖国参拝などで、日中関係を改善する意思があるのか、米国の戦略家たちからも疑念が出ていることは確かだ。だが、歴代政権ではあまり用いられてことのない、英米法に根差す「法の支配」を唱えていることに留意したい。
だが、安倍首相の「法の支配」の用い方は、先にあげた議会主権、そして司法が少数者にも目配りする社会になっていることに目をむけたものではなく、たとえば「日米は共同で法の支配、民主、安全保障を世界に、地域にもたらす」といった具合に用い、同じ価値観をもる日米の同盟が地域の安全保障に公共財としての役割を果たすこと期待している 。つまり、民主、法の支配など、価値観を共有する日米が、中国の「偽国際法」に対抗するものだというのだ 。
こうした傍若無人な大国、中国の行動を阻止できるとすれば、それはアメリカの「関与」が欠かせない。だが、アメリカの対中国への「関与政策」とは、自分たちのもつ法の支配、人間の尊厳、民主主義制度、国家間の暴力の否定、自由貿易といった現代国際社会や価値観やシステムを、先進民主主義国とともに「責任大国」になるよう慫慂していくというものである。安倍首相の「法の支配」論議も、これへの呼応だが、現実的には中国が「法の支配」を共有することは期待しておらず、当面は中国の不法行為を抑止することのみが考えられていると推量される 。
ところが、アメリカがアジア回帰したと宣言しているにもかかわらず、アジア諸国は、その本気度を疑っている。オバマ大統領は、財政問題のためにAPECの首脳会議を欠席したり、領土問題へのコミットメントを避けたりしており、アフガニスタンとイラクの二つの戦争を終わらせたことを自分の遺産にしようとしているからだ。さらに重大なのは、アメリカ国民の大半が積極外交を望んでいないことだ。
そして、オバマ大統領のシリアの化学兵器についての発言である。いわば化学兵器が使用されているのなら、それはレッドラインであると言っておきながらロシアの化学兵器撤去プランに乗ってしまった。そればかりか、「世界の警察官ではない」と発言し、朝鮮戦争以来の役割を終えたことを明確にしたからである。
実行に移されない発言は信用されない。アメリカの抑止力が地に堕ちた瞬間だ。このシリアでの宥和策が、慶大教授の細谷雄一も指摘するように、アメリカの権威を失墜させ、ズデーテンランド問題をめぐるミュンヘン会議でのイギリスのチェンバレンに匹敵する失策であったことは間違いない。そして、シリアでの失政のすぐ後には、クリントン前国務長官が、ロシアはロシア系住民の保護を名目に軍を展開しクリミア半島を編入しようとしたロシアの言動をナチス・ドイツのズデーテンランド編入と同じだと語らなければならない状況になったのである 。
2014年4月のオバマ大統領のアジア歴訪、そして5月にウェストポイントで行った外交演説がアメリカのリバランス政策を確認させるためのものであっただろう。確かに安倍首相との日米首脳会談では、中国への抑止を効かせるべく、尖閣を日米安全保障条約の範囲内だと発言した。しかし、中国とは新しい大国関係を築きたいとの期待を示し、領有権問題に関しては中立であるとしており、しかも尖閣がレッドラインになるとは言っていないのだ。南シナ海での中国の一方的な行動には言語の上では断固反対であっても、領土問題では話し合いで解決を図れというにとどまっている。ウェストポイントでの外交演説でも、「すべての問題に軍事解決があるわけではない。アメリカは高い代償を伴う間違いを犯してきた」と、前政権の否定以上の答えを出さなかった。
このような態度では、新しい「法体系」まで用意して確信犯である中国の行動を止められない。中国は、これまでも実利としての自由貿易はとっても、先進民主国家との価値観の共有を拒否し、勢力が伸ばせるならば伸ばしていくという態度をとってきた。ライス補佐官の新しい大国関係をという発言やクリミア半島でのアメリカの拱手は、中国にとっては付け入る隙なのだ。中国は、強引な戦術で、アメリカは同盟国を守るために戦争の危険を冒す用意がないのではないかとの疑念を植え付け、アメリカとアジアの同盟国、とくに日本との関係を壊そうとしているのだ 。すでに『エコノミスト(英)』誌がオバマ大統領は今までのやり方を変えなければと注文をつけているように、アメリカが中国にレッドラインを示さない限り、膨張策をやめようとしないのだ。
では、米中のアジアでの影響力行使はどう決着するのだろうか。CSISが朝日新聞の援助を得て14年のオバマ歴訪の直前にアジアの安全保障専門家に行った調査では、オバマ政権が掲げるアジア・リバランス(再均衡)政策について、ほとんどの国・地域の専門家が8~9割超(全体平均79%)の高い支持を示したが、中国だけは不支持が多く、リバランス政策をアメリカ主導の対中国「封じ込め政策」ととらえ、警戒を強めていることが浮き彫りになった。また、中国以外の各国・地域もリバランス政策そのものは支持しているものの、「財源や実施が十分ではない」との回答が全体平均で最多の51%を占め、アメリカの専門家の7割も同じ見方だった 。
財源や実施が十分ではないアメリカ外交は、現実の場面で、どうなっているのだろうか。アメリカのケリー国務長官は、こうした中国の挑発行為は秩序への挑戦だと非難したが、中国の行動は中国的秩序を求めたものなのだ。ASEANが一致して中国との間で行動規範を早期に策定するよう求めても、中国は、自国経済との非対称性を利用してベトナムから製鉄所建設現場の3000人を含め4000人の従業員を帰国させ、対ベトナム輸出を停止するなどして揺さぶりをかけている。「チャイナ+1」でベトナムへの直接投資が増えてきているが、最終組み立ては移って来ても、原材料、部品等の供給では中国に依存している企業が多い 。その意味で中国にとってはベトナムへの輸出は大きなメリットをもたらしている。
だが、大国、中国から見れば、ベトナムとの経済関係は小さく、ベトナムにとっては大きい。中越の対立が続く中で、中国は今のところサプライチェーンの分断はしていない。中国が国境の通関検査が強化されたり、物資を止めたりするような挙に出た場合、その効果は、ベトナムに大きく及ぶ。この経済リスクが、外相、首脳、そして防衛と共同声明の時間的な経過とともに対中国宥和の色が濃くなっていることにも表れている 。
ベトナムは国際司法機関への提訴の構えを見せ、アメリカも、サイバー攻撃に従事した中国軍関係者を犯罪者として告訴したりして揺さぶりを始め、対中国での政策変化を模索する中で、中国も国務委員の楊潔箎をベトナムに送り込んだ。だが、それは対話というよりも恫喝に近かった。南沙諸島の問題では、中国は、2国間での交渉で済む話だと回避しながら、日中間での白樺での実績なども踏まえ、一本の試掘が始まり次の試掘へと工事船をまわし既成事実を積み重ねているのだ。
こうして両国の話し合いで実際に中国の膨張を止められないのなら、それは、アキノ大統領がいうように、アメリカの怠慢であり、第1次大戦の膾(なます)を吹いてナチス・ドイツの膨張策を止められなかったミュンヘン会議での英米と同じということになる。軍を動かすぞというレッドラインを提示し、中国が力づくの現状変更をやめるという交渉が可能なテーブルを用意する時期が来ているといえるだろう 。

4.力の中国対雁行形態の発展で先頭としての日本

中国は、アメリカが主導してきた国際秩序に対抗し、アジア域内の安全保障サミットであるアジア信頼醸成措置会議(CICA)を中国主導の秩序形成の足場にしようとしている。習近平国家主席が主催した14年5月の会議には、日米ともにオブザーバーの資格で参加しているが、ユーラシア大陸の国を中心にロシアのプーチン大統領を含む少なくとも14カ国の首脳が出席し、アジアモンロー主義を唱えた。習近平は領土問題についても国際法に基づき平和裏に解決することを訴えたが、オバマのアジア歴訪の後に、ベトナムの沖での石油掘削作業を保護するとの名目で50隻もの海洋監視船を派遣したのは、中国に外ならない。ロシアのクリミア併合に平仄をあわせたアメリカの秩序への挑戦だ。中国の唱える信頼構築も、睦隣外交も、中国の国益に合致する限りという限定がつく。
また中国は、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)に対抗して、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立する構想を打ち出した。すなわち、カザフスタン、スリランカ、韓国、モンゴル、パキスタンの5か国にASEANを取込もうというものだ。AIIBの概要としては、域内のインフラ発注国、インフラ受注の(中国)企業の海外での資金調達能力が弱いので、これらインフラ整備にかかわる資金の不足分を補うことを目的とし、各国で500億ドルを出資し、香港に本部をおくという。
だが、大国、中国の東南アジア社会への浸透は、単に領土での侵攻、経済、金融だけではない。東南アジアには、現在、中国の国務院僑務弁公室の「華僑・華人研究報告(2013)」によれば、世界の華僑・華人の約7割を占める約3508万人が居住し、彼らの存在を通じて大きな影響を及ぼしているからだ 。東南アジアのどの国も、大きな富を持ち、一国を越えて活躍しようという華僑とそれに依存せざるを得ないというジレンマを抱えてきた。
こうしたジレンマを克服する手段として考えられたのが、インドネシア土着民の利益を保護する開発独裁の政策がインドネシアのプリブミ政策、マレーシアでのマレー系民族の地位向上のためのアファーマティブ・アクションとしてのブミプトラ政策であった。ところが、今やマレーシアではブミプトラ政策が見直しの段階へと変化し、インドネシアでは対華僑への差別はほとんどなくなった 。中国経済が世界第2の経済大国へと台頭してきた結果、先の「華僑・華人報告」も指摘するように、域内の華人の経済的実力や政治的立場にも根本的な変化がおとずれ、これまでとは逆に、中国文化が東南アジアに大きな影響を及ぼすようになったのだ。こうした社会的雰囲気の中で、国富の割をもつ800万人の華僑がインドネシアでは、これだけ大国になった中国が多少横暴に見えるかもしれないがそれは新興大国として当然のことだといった見方がでていたのだ。
だが、そのインドネシアも、先に指摘したように、中国への警戒を強めるようになってきた。一方、ベトナムでは、鄧小平の起こした中越戦争で、華僑は何十万人の単位で海外逃亡したとされるが、それでも今日も華僑は100万人いるが、現在の対立によって、再び疑似中越戦争の状況にある。そして、東南アジア華僑の中で最も土着化したタイ華僑は、マスとしての都市富裕層を形成するところとなり、対中国では積極中立が目指しているように見えた。だが、タックシン、反タックッシンの対立の中で、中国は保守派である反タックシン派を取り込み、アメリカを牽制することに成功するかにも見えた 。だが、中国の台頭によるASEANへの圧力が明確になる中で次第に、米国の関与を求める立場がとられるようになった 。だが、14年5月にプラユット陸軍司令官に率いられる軍が戒厳令を布告し、事実上のクーデターを起こし、事実上、選挙で選ばれたタックシン派を追放したことから事態は一変した。
日本政府は、ベトナムが対中国での立場を鮮明にしたところから、ODAにからむ収賄事件の制裁をうやむやに、幕引きを図っている。日本は、タイ投資で圧倒的に高いシェアをもつが、その投資が土着化したタイ華僑と結びついていることもあってか、だんまりを決め込んでいる。だが、日本は、力で東南アジアに浸透している中国に対し、雁行形態の発展で先頭を走ってきた者としてアドバイスをしていくべきではないか。その拠って立つところは、「法の支配」であろう。

土着化した華僑と軍事クーデター:「タイ式」民主主義

タイは、発展途上国で民主化の手本だといわれたことがある。それは、1979年にもっとも民主主義的といわれた憲法を制定したからだ。その新憲法の下での最初の政権となったのがタクシン内閣である。それまでの小党分裂の何もできない政権が、与党を生み出す構造をもった選挙制度にかわり、その制度を最大限活かしてマニュフェスト選挙を行い、その公約通りの政策が実行される。これはタイ国民が経験したことのないことであり、有権者にとって選挙の意味が革命的に変わった 。つまり、ダイシーのいう議会が主役に躍り出たのだ。
タックシンは、声を選挙で引き出したのだ。タイでは、首都圏と地方部では一人当たり所得差が数倍にもなり、上位2割と下位2割の所得格差は10倍になるとされる 。地方部からの若年層を中心とする人口流出がこれまで社会安定の基盤であった大家族制を徐々に切り崩し、セーフティネット機能が弱体化してきている。このことが、政府からの公的支援を求める地方部の住民の声を大きくし、タックシンはそれに応えたことになる 。たとえば、1バーツ医療制度だ。つまり、タックシンが農村の票を基盤に総選挙を勝ち、中間層、土着化した華人系タイ人、国王などからなる都市部都市勢力に対抗する姿勢を明確にした。
タイでは、前者の利益を代表するタックシン派、後者の利益を代表する反タックシン派という対立するだけでなく、中心国であるがゆえに農村人口が多く、選挙ではタックシン派が絶対に有利という事実が反タックシン派の恐怖を呼び、分裂状況が生まれたのだ。
タックシンが05年の総選挙で勝利すると、反タックシン派は、選挙では勝てないとみるや、枢密院顧問のスラユットは06年にかつての部下、ソンティ陸軍総司令官をそそのかしてクーデターを起こさせ、その得た政権で憲法を変え、充足する経済など「国の基本政策方針」を置き、憲法裁判所、選挙管理委員会、汚職防止取締委員会など、選挙で選ばれた者に対抗するための数々の政治監査機関を用意した。象徴としての元首ではない国王をいだくタイでは、立憲君主制を標榜するものの、君主の生殺与奪の権利を議会へと移した名誉革命の伝統をもち、王権を制限したイギリス憲法、タイ自身が普通選挙を実施するようになった経緯を無視した立法だ。逆に、「国の基本政策方針」は、アジア金融危機後の経済運営の在り方として「ほどほとに」と、国王がつぶやいたものを憲法に盛り込み、国王の権威でもって内閣をしばろうというものだ。比較政治学者の外山文子は、「基本政策方針」に法規範性を持たせた憲法はどこにもないものだと指摘する 。つまり、選挙で勝ち内閣を主宰するものはポピュリストであるとし、そのポピュリストをコントロールするためのものなのだ。
確かに憲法裁判所は連邦制をとるドイツの連邦憲法裁判所を模し、「法の支配」を徹底しようとしたとも言える。また、ドイツの連邦憲法裁判所は「違憲論争」の際には、連邦議会議員の3分の1の数を満たせば十分とし、少数の権利を守っているが、それを取り入れたともいえる。だが、それはドイツでは、基本法で保障されている三権分立の原則および連邦国家を擁護するために活動するのであって、議会民主主義の補完としてのものだ。タイにおける展開では、選挙をしても負け、一方で黄シャツ(PAD)デモを動員しつつ、これら監視機関の判断でインラック首相を初め政権に就くものを次々と追放するというもので、文字通りカッコつきの「法の支配」によって、議会民主主義を覆そうというもので、ドイツ憲法とは似て非なるものだ。
次の選挙をこばみ、「勅撰」首相の選出を試み始めるという構図は、05年以来の攻防の繰り返しであるばかりか、監視機関の判断でもバランスを欠き、正義も失われている。アメリカ憲法では、付随的違憲審査権が認められ、ニューディール政策に対し最高裁は違憲判断を連発し、結果として最悪の結果を招いた。この反省に立ってアメリカ法を母法として日本国憲法が生まれた 。憲法判断が事件の解決に必要な場合以外は行なわないという憲法判断回避の準則が存在する理由だ。キャッチアップ型、開発独裁を目指すタイでの違憲判決濫用は、きわめて不適切といえよう。特に「基本方針」を法定することは、変化する現実へ行政が対応することを大きく妨げる。これでは、民主主義は貫徹されないと赤シャツ(UDD)が騒ぎ出したのも不思議ではない。

プラユットによるクーデターとその出口政策

ふたたび赤シャツ、黄シャツのデモが激突する危険も出てきた。赤シャツ・グループは、黄シャツに対抗するために07年に生まれた、農村の中層、都市下層階級、知識人などからなる混成部隊とか、烏合の衆といった評があるが、途上国における新しい中間層だといえよう。一方、黄シャツは、騒ぎを大きくすることで国民の間に軍の介入の期待を高めさせ、軍にクーデターを引き起こさせるための先導隊なのだ 。
果たせるかな王党派に担がれた軍ではなく、中立でタックシン派と反タックシン派との間の仲介をするという触れ込みで、形だけの1時間の話し合いを行わせた後にクーデターが宣言された。つまり、形だけの話し合いの裏では、海外にいるタックシンとタックシン派内閣の総辞職を交渉し、タックシンが拒否するとクーデターが宣言された。国家平和秩序評議会(NCPO)を名乗る軍事評議会が全権を掌握した。タックシン派の幹部らが拘束され、国軍が反タックシン派として行動していることが明白になった。
軍部によって国家が乗っ取られた状況になったとき、その軍事国家は世界にとっての恐怖になり得る。だがタイでは軍のクーデターは1932年に立憲君主制がとられて以来19回目だ。クーデターは、国王、世論というバランスの中で一定の役割を果たしてきたという過去があったからだ。現国王のプーミポン体制自身が、国王の老齢化で一方的に都市勢力派への加担など判断力の低下、王党派による利権維持策、それに民主教育、選挙制度の進展による臣民から市民への意識変化などが加わったことによって、弱体化している。軍自身も、国王の軍を名乗ってももはや正統性を獲得できない。
そこで、軍部には、軍政が一時的であり、この国には復元力があることを早期に示す必要が出てくる。復元力が残っている限り、他国は干渉すべきではないからだ 。事実、ASEANも警戒しながらも事態を見守っている。予算策定を急ぎ60万世帯に約束したまま滞っているコメの買上げ、公共投資の凍結、さらには7000億バーツを超す内外の投資案件の認可問題などを処理して、短期的には開発独裁の要諦を全うするというのはとともに、暫定政権の下で、固定資産税、相続税の創設など税制改革を進める一方、新憲法を制定し、その新憲法の下で選挙を行うという筋書きを描いていたと考えられる。
暫定政権を上院議長の指名、国王の承認という形で成立させようとしていた入り口のところで国王の承認が得られず、NCPOは急きょ上院を廃止し、前上院議員を含む「立法会議」に暫定首相の選定、新憲法の制定などを担わせ、政治・経済・社会の改革を進めるために「改革会議」を創設することにした。
プラユット陸軍司令官は、出口を見出すための手続きを3段階に分けて進めるとした。第1段階は軍主導で各地に「和解センター」を立ち上げ、対話を通じて対立の緩和を図るもので、期間としては2~3か月を想定する。第2段階として民政復帰に向けた環境整備で、軍が予算を立て新たに発足する暫定政権がその執行をにない混乱した経済を立て直す一方、先の二つの会議をフルに動かし15か月程度で新憲法、国内改革を進めてある程度の分裂状況を改善するというのである。こうして選挙ができる環境を整えば、総選挙を実施し民政へ移管できると見込む。
このまま軍政がつづき消費意欲がもりあがらなければ、空軍の縄張りであるタイ航空ですら赤字からの脱却ができない。赤字の追求をされてアンポン・キッティアンポン会長を退陣させ空軍出身者に差替えた 。だが、再びボードメンバーに戻すなど、いわば持てる者のためのボードという性格のままなのだ。利権構造にメスといれながら、経営改革を進めなければならないのは、まさにタイ経済の構造改革の構図そのままなのだ。
だが、一番の問題は、「総選挙の実施は、対立する勢力同士が和解してからだ」というプラユットNCPO議長の発言自身が自己矛盾だということだ。民主主義に踏みとどまり、危機を乗り切るチャンスを、タイはもう何度も奪われている新憲法を制定し、国民の間の分裂を回避するような一連の改革を行い選挙というフレーズは05年から変わっていないのだ。チャリダポーン・タマサート大学准教授は、「異なる価値観を持つ人びとが共に生きていくための痛みを伴う対話」が逸失してしまったことを嘆く。NCPO支配が長引けば、むしろ対立を煽ることになろう。そして、もし反タックシン派の道具立ての政治監査機関を廃止することなく、タックシン派幹部を不敬罪で有罪にして被選挙権をなくして総選挙をするといった暴挙をするとすれば、アメリカを初め国際社会からの非難は06年の比ではないだろう。デモが激化すれば、戒厳令の意味すらない。
NCPOに限らず、対立が深まっているタイを憂慮する「立法会議」メンバーに求められるのは、「出口」後のビジョンを描くことなのだ。中進国の罠に陥っているタイは、その社会政治構成でも変化が求められていることに対応していなければ、むしろ害になるからだ。
軍は、06年のクーデターで貧乏くじを引かされたとも言われるが、軍事予算を3年で倍に、軍人の人事異動を制服組優位で行える仕組みをつくるなど、焼け太りの様相を呈している。将軍たちは上層社会の一部を構成する。だが、農村出身の兵士は、将軍たちが黄シャツへなびいていることへの反感も強い。つまり、迷彩服を着ていても中身は、隠れ赤シャツ、つまり「スイカ兵士」なのだ。将軍たちも、若手将校がタイ版2.16事件、あるいは韓国の朴型のクーデターを起こす危険を恐れるべきだ。
プラユット議長は、軍のためのクーデターではなく、国民のためのクーデターだと、その正当性を主張する。タックシン派幹部の拘束では、アメリカの圧力もあって早期釈放をしたが、『エコノミスト』もNCPOが国王の最後の影響力を利用して再び「嫌いな政党に政権に担当させないための政治システムの構築」の立法をしていくのではなかと疑っている 。上院に大きな権限を与えるといったことが考えられよう。
だが、タイがAEC創出への旗を振る資格を得るために必要な条件が何であり、ミン事務局長があげたAECの目標として掲げた中産階級を多く生み出さすための政策とは、タイにとってどんなものであるか、という発想から出発しなければ、出口はないのだ。憲法を議論する「立法会議」にも、税制の改革をうたう「改革会議」にも、タックシン派を入れて、税制改革によって財政基盤を拡充し、象徴的には都市交通も、地方とバンコックを結ぶ幹線鉄道の建設もという国土開発ビジョンを示すのである。つまり、軍が予算を策定するにも、凍結されている中進国脱出のための公共投資をどうするかが直ちに問題になる。インラック前首相は、農村経済の底上げになるとして農村と都市を結ぶ新幹線の建設を進めようとしてきた 。反タックシン派は、それをタクシン派の利益誘導だ、財政悪化を招くとして凍結してきた。タイが中心国の罠を脱するにはインフラ投資は必須であり、都市交通の整備で都市の魅力も高め農村人口を減少させることが、都市、農村を通じた国民の利益だということを提唱すべきだ。
こうした国土開発ビジョンの先にあるのが、タイ社会を軟着陸に導く国民・国家ビジョンである。構成する要素が二つあるように思われる。
その一つが、女中を抱えるという中産階級の生活スタイルのギブアップだろう。経済発展が進む中で、いわゆる中産階級の水増しが起こり、それまで農村部から若い女性が家事、子守などのために都市中産階級の家庭に住み込んでいた慣習が多くの国では消えていく。隣のマレーシアも、韓国などと同様のスピードで農村人口が減りそうした慣行は消えた。だが、農業が商業生産として成り立っていたタイでは、農村人口はなお50%を超える一方、ラオスなどからの出稼ぎもあり、家庭内家事のために女中を雇い得ている。
王制の下では、タイが身分社会であることは間違いない。貧富の格差が他国と比較して大きいことも確かだ。だが、タイでは背格好、言葉づかいがまるきり違うという格差はない。農村部の一票は都市住民の半分の値打もないと嘯くこともできるのは、こうした生活スタイルの高みからのことに過ぎない。土着化した華僑は、いわばタイ国民を形成する一部となるはずであったものが、タイ民族の中にはいりこんでいたがゆえにタイ国民を分裂させる力となったという側面もあるのだ。
AECの発展によって、いずれラオス等からの出稼ぎ家事従事者を枯渇させ、タイ都市住民の生活スタイルを変えていくことになろう。すでに、お抱え運転手は都市住民にも無理になった。女中を雇うことも困難になろう。これを先取りした形で新しい中間層の生活スタイルを提示していくことが求められているのだ。つまり、中間層とは、少し豊かな赤シャツを構成するような中産階級以外にないという消極的選択でもある。
今一つが立憲君主制の公式に象徴的な君主をいだく民主主義への移行であろう。民主化が進んだ現在、宮廷政治の発想を捨てるべきなのだ。王党派の見るタックシンの権力は単に選挙基盤が強いだけでなく、皇太子への援助を続ける中でタックシンが次期国王の後見的役割をになうのではないかとの恐れを抱いているとされる。だが、老齢のプーミポン国王は、2.16事件の後の首相を務める広田弘毅に、農村救済をするのに貴顕のインタレストを侵さずにするよう指示した戦前の昭和天皇のように、タックシン首相に対し同じような指示ができず、選挙を無視してしまうという失態を見せた。もはや国民の王としての顔を失っているといえよう。一方、皇太子自身が国王の器ではないとの世評を得ている中で、父プーミポンのように君臨する国王の役割を果たすことは困難だ。そこで王党派も王女で国王を代用しようというのではなく、民主派も王制廃止ではなく、着地点としての象徴としての国王への変化を認め、イギリス型の立憲君主制へと変貌することを目指すべきだろう。大日本帝国憲法が日本国憲法に変わるためには、敗戦と占領軍という圧力が必要であった。主権の変動とは、革命に外ならない。枢密院顧問の諮詢および帝国憲法第73条による帝国議会の議決を、今日のタイの枢密院、NCPOに期待するのは、望蜀というものであろうか。

5.ASEANに「法の支配」を説き続ける

今後のアジアの発展のカギを握るのは、リー・シェロン首相も指摘するように、米中関係と、アジアのナショナリズムの行方だ 。
中国は、周辺国へプレッシャーをかけ続けている。かけることで、その接近を促しているのだ。台湾、韓国などが、その圧力に屈し始めている。韓国はすでに、前の大統領の李明博は統一後の朝鮮半島問題を中国首脳と話し合ったことがあると言明したが、朴恵槿大統領も同じように、中国への傾斜を高めてきた。韓国は、アメリカのアジア回帰宣言にもかかわらず、北朝鮮の核よりもイランの核だと、アメリカの本気度を疑って、アメリカ離れを起こしている。多くの高校生が犠牲になった事件の最中に、韓国の新聞には購買力平価でみた中国のGDPが予想以上に早く達成されるかも知れないとの世銀のレポートが大々的に報道された。中国への接近は正しいのだとの心証を得ようとするものであろう。その意味で、中国への接近は、恐怖が親近感を生むストックホルム症候群が出ていると見ることも可能だが、伝統の事大主義の復したと見るべきであろう。
だが、急速に台頭してきた中国も20年には人口構成の大きな曲がり角に立つ。それ以上に重要なのは、韓国や台湾では一人当たりGDPが5000ドルを超えたあたりで民主化を達成しているのに、天安門事件のために封印されたままの政治改革、民主化への手がかりを示すことができず、対内、対外の政策が硬直したままであることだ。
では、今後の米中関係のバランスはどうなるのか。リー首相は、アメリカのアジアへのコミットメントが本物で、中国もそれに対応し、ぎりぎりのところで依存関係を維持していくというシナリオの展開を期待する。安倍首相の「法の支配」発言を演出している一人と見られる兼原信勝も、関与政策は、短期的には効果をもたないように見えるが、米、欧、日、豪、韓、あるいはASEANとった先進民主国が自ら掲げる価値観と、自らが築き上げてきた普遍的な価値観や国際的な諸制度を守るために、緩やかな団結を保てば、長期的には機能するとの見方を示す 。日本はASEANに「法の支配」を説き続けいていくべきだ。


参考文献等
1 ASEAN Economic Community Blueprint, 2008. なお、2020年の域内総生産の予測は、東アジア・ASEAN経済研究センターによる。
2 日本経済新聞社主催『アジアの未来第20回会議』(2014年5月22,23日)での発言。ミンASEAN事務局長は、2004~2011年に国連ベトナム大使を務めたが、うち08~209年には、ベトナムが初めて国連の安全保障理事会非常任理事国となった際に安保理議長を務め、ダルフール(スーダン)、コートジボワール、シエラレオネ、グルジア、ソマリアの紛争解決に当たり、その手腕が注目された。ミャンマーのサイクロン・ナルギスの被害対応での貢献も、多くが認めるところだ。
3 安倍晋三首相の2013年 2 月22日にワシントンのCSISで行われた“Japan is Back”と題する演説から引用しているが、他にも、法の支配への言及は多い。
4 これは、ウクライナ後に、G8からロシアを追放して開かれたG7でも、対ロ、対中への対抗策として示されるものである。
5 小金丸貴志「安倍政権の「法の支配」に直面する中国」 台灣安保協會主催國際研討會『中國崛起與亞太民主連線的形成』 2013年9月7日。
6  安倍首相は、中国漁船衝突事件から1年を迎えた2011年9月7日に、台湾で開かれたアジア太平洋地域の¬安全に関するシンポジウムに出席し、その講演の中で、中国について言及し、1980年代以降の中国は、国力でその勢力圏が決まるという考え方をとり、まずは経済力に専心したが、最近ではその力をもって他を抑えつけようとしていると、ナチスや旧ソ連に比すべき存在に擬した。
7 Andrew Browne, “Fragile Harmony for Sino-American Relations,” WSJ, Asian ed., May 28, 2014.
8 奥寺淳「歴史・領土で武力衝突懸念も アジア11カ国・地域外交専門家アンケート: 米CSIS調査」『朝日新聞』2014年5月27日。
9 池部亮『東アジアの国際分業と「華越経済圏」』新評論、2013年。
10 4000人の帰国も、帰国命令よりも本人たちが逃げ帰ったというのが実情に近いとされるが、経済規模が大きく、政治優先の中国は、ベトナムが対抗措置をとっても影響は小さいので持ちこたえることができる。
11 オバマ政権の第1期で国務副長官をつとめたジェームス・スタインバーグ・シラキューズ大学行政大学院長は、14年5月14日の日経新聞とのインタビューで、オバマ政権も中国にレッドライン、つまり譲れぬ一線をきちんと示すことが、長い目で見て米中関係をプラスになるとの見方をしめした。
12 通常、華僑は1世、華人を2世以降として区別しているが、本稿では華僑で代表させている。
13  北村由美『インドネシア 創られゆく華人文化』明石書店、2014年。
14 玉田芳史「タイ政治をめぐる外圧と内紛:アメリカによるクーパータオ空港使用を中心として」『国際情勢 紀要』2013年2月。
15 山影進「「新ASEAN」の課題と日本」NIRA『アジアの課題と日本』2008年。
16 玉田芳史「民主化と抵抗:新局面に入ったタイの政治」『国際問題』2013年10月号。
17 ちなみに、Forbes(Thailand) June 14, 2014.によれば、タイの富豪トップ50の総資産は3兆6300億バーツ、2013年のタイのGDP11兆9000億バーツの30%にもなる。
18 柴田直治『バンコク燃ゆータックシンと「タイ式」民主主義』めこん、2010年。
19 外山文子「タイ憲法における「国の基本政策方針」の政治的意味」『アジア・アフリカ地域研究』12(2)、2013年3月。
20 田島裕『外国法概論』信山社、2012年。
21 玉田芳史「混迷深めるタイ政治情勢」表参道・The Wesley Centerでの講演, 2014年 5月 16日。
22 田島裕「「法の支配」の最近の事情」『法の支配』173号、2014年4月。
23 赤字の原因を、2014年の株主総会で、チェケタイ社長代行は、①中国の節約例での中国客の落込み、②デモの対立など混乱による国内客の落込みをあげた。だが、供給の6割を抑えるLCCとの競争へ、持てる者によるボードが十分な対応ができていないことが大きい。ボードメンバーを15人から9名に減らす株主提案は否決された。
24 Economist, 31May 2014.
25 日本の車両メーカーはモデルとなったJR九州を巻き込み、新幹線システムのタイへの売り込みを行ってきたが、インラック首相の失脚、軍事政権の誕生と環境が激変する中で、新幹線建設は困難と見るようになってきている。
26 リー・シェロン「中国は平和的に発展を」第20回国際交流会議『アジアの未来』2014年5月22,23日。
27 兼原信勝『戦略外交言論』日本経済新聞出版社、2011年。兼原は、関与の押しつけ、包囲網が相手側にとって、うるさいもの、軛(くびき)のようなものにも映るだろうとも言っている。

posted by 高橋琢磨 at 11:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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