2014年05月30日

2014年6月号  経済成長策としてのImPACTプロジェクト、ロボットを考える  新しい技術が社会に受容される仕組みづくりの重要性 - 高橋琢磨

要旨

アベノミクスにおける経済成長策の一つに、DARPAモデルを一部とりいれたImPACTと名打つプロジェクトがある。一方、首相はロボットも成長政策の柱の一つだと言及している。ロボットが高齢化問題を初め日本が抱える課題解決の大きな鍵を握っていることは確かだ。だが、首相はImPACTとロボットとを組み合わせ経済成長策に仕立てよといっているわけではないだろう。ここでは、デュアルユースのロボットという開発対象をとりあげ、DARPAモデルのフレームワークが人々の思考のなかに入ることにより、フクシマで経験したようなタブーが消え、発想が豊かになり、ロボットの社会受容性も高まることが期待できることを論じよう。つまり、こうした柔軟な思考フレームワークを最大限に活かして、軍事用途、災害・危険物対応、医療、生活支援など、様々な用途を想定しながらも、「ロボットに限らず」、新しい技術がうまく社会実装できるような“モデル”を日本が作っていくことが望まれるのだ。

〈キーワード〉
DARPAモデル、ImPACTプロジェクト、ロボット、ロボットダーレン、ユーザードリブン・イノベーション、デュアルユース

はじめに:アベノミックスと革新的研究推進プログラム(ImPACT)

第2次安倍内閣が打ち出したアベノミックスには、3本の矢があるとされる。だが、最も重要とされる第3の矢としての経済成長政策の姿が見えてこないと言われて、久しい。このため、アベノミックスには成長政策がないのではないかとの懐疑も生まれている。これに対し、安倍首相は、OECDの議長国として行った基調演説の中で、アベノミックスには成長戦略があると反論し、そのなかにロボット、革新的研究推進プログラム(ImPACT)などの語をちりばめた。
安倍首相が100%消化して言及したのではないにしろ、頭の良い官僚が成長政策の新しいキーワードになるとして選択したからには、それなりの意義があるものだろう。革新的研究推進プログラム(ImPACT)が採用された背景にある問題意識としては、次のようなものだ。成功の喜びを味わうというよりも失敗を恐れがちになる日本では、目標水準を下げた課題設定をしておいて、それをクリアーし、めでたし、めでたしで終わることが多い。ここは、アメリカの国防省の研究所、DARPAにならい、産業や社会の変革につなげられるハイリスクではあるが開発に成功すればインパクトも大きい挑戦的な研究開発を設定し、その課題の解決にむけて研究開発のデザイン力・マネジメント力とトップレベルの研究開発力とを結集しようではないかというのである。
安倍首相の言及した、ロボット、インパクトのある開発目標という2語の「最大公約数」をとれば、それはすでに、日本社会が直面する課題解決のために期待されることの多いロボット分野の開発にあたって、社会にインパクトのある開発目標を掲げることの意味を説いたNEDOの文書の中にある。また、革新的な研究開発の課題設定は誰がするかといえば、DARPAのモデルを参考に、総合科学技術会議(CSTP)が設定するというものだ。だが、これはいかにも失敗を恐れる官僚の作文である気配が濃厚である。
では、安倍首相の発した2語は、どう考えるべきなのか。武器輸出3原則の見直しによって、これまでタブーと見なされてきたDARPAモデル、ロボットという2項目の「最小公倍数」として発想し、成長政策の一つの考え方とせよということではなかろうか。つまり、新しくDARPAモデルをとり入れることにより、フクシマの事故を振り返り、自由な発想なり、逆に開発の規律なりが生まれるのか、それとも、それは過剰期待に過ぎないのか、デュアルユースの色濃いロボットの開発という舞台をベースに考えてみよというものだろう。

民需一辺倒時代の日本から見たDARPAモデル

革新的研究推進プログラム(ImPACT)が採用されたことから、DARPAモデルが日本で注目されるようになった。DARPAモデルとは、軍事という過酷な条件のもとでの課題であることから、開発ギャップが大きく、そのギャップを埋めるような新技術が実現すれば革新的なものと言えることがある。そのアナロジーから産業や社会のあり方に大きな変革をもたらす課題をImPACTに与え、科学技術イノベーションの創出を目指そうというものだ。
大きな開発ギャップを乗り越え誕生したものの代表的なものは、インターネットであろう。軍の開発目標は単純な形で提示され、需要特定化は明確である。インターネットの原型となったARPANETも、もともとは冷戦下でソ連からの核攻撃を想定し、その一撃によってもなお機能を保つ通信システムとして誕生したからである。ネットワーク化されたコンピュータという大胆な発想が出され、そうしたネット間でのコミュニケーション・システムが開発されたのである。この軍事目的をもったシステムが、80年代にNSF(全米科学財団)の支援を得て、学術研究用のネットワークとなり、アカデミックな目的を持つものに限って利用を許されるようになり、利用が試された。その試行錯誤の中から、シスコ・システムズのルーターという戦略部品が開発され、インターネットの原型が誕生したのである。そのインターネットが今日のような巨大ネットワークに育ったのは、商用での利用が本格化し、需要の再特定化が行われたためである。だが、それが大きく発展するには、冷戦後が始まるベルリンの壁崩壊後の91年まで待たなければならなかった。このようにして生まれたすさまじい自己増殖力を持つインターネットは、世界中にまたたく間に広がった。
その他の成果を見ても、確かに、2009年に北朝鮮がテポドン2号の発射準備しているのを写しだした衛星写真の解像度でも、軍民では明確で、成果も上がっているようにみえる。また、今や商業化が可能になろうかという燃料電池にしても、シーズとしては軍事研究が役立った。しかも、プロジェクトは主契約者になれば、コスト・プラス利益方式で支払われるため、文字通り金に糸目をつけず先端の頭脳を集め開発に没頭できる。その意味では、何とか潤沢な資金を獲得して、知財・人材を支えとして研究者が研究に専念できる環境を整えたいとするiPS細胞研究所長の山中伸弥の理想とする条件のようにも見える 。
だが、コスト・プラス方式の契約は経済的な目的でコストを削減しようとするインセンティブを低下させ、そこに創意工夫を生む余地を少なくする結果をもたらした。このため、ICBMの開発の場合のように、安全保障上の理由から現場に緊張感がある場合は、それでもこのシステムは機能したが、この緊張感が失われるとこのシステムは全く機能しなくなった 。
ディジタル化の進展で苦戦をしている日本の情報エレクトロンクスの中でも、なお世界トップの地位を維持できている数少ない機器の一つ、デジタル・カメラの戦略部品であったCCD(Changed Compile Device;電荷結合素子)の開発もそのような例の一つである 。
CCDという半導体が生まれたのは1970年のことで、ベル研究所のW.ボイルとG.E.スミスが半導体の中でも情報の転換ができないかという好奇心から開発し、その成果として発表したのである。これは初めメモリの可能性として注目されていたが、1971年同じベル研のW.バートラムによってフレーム・トランスファー方式が提案され、72年にはこの方式によってCCDエリヤ・センサーが発表されるに及んで、自己走査機能を持つ大画素数の固体エリヤ・センサーの可能性が強く印象づけられた。大学でエサキダイオードを研究した越智成之がソニー入社後にアンダーザテーブルのテーマとして、これを選んだのも映像機器の小型化つまりビデオカメラの鍵となると見たからである 。
だが、越智がアンダーザテーブルで達成した到達点は64画素で、やっとソニーのSをかすかに映し出せる程度だった。しかし、越智の直訴を受けて、ソニーが中央研究所でCCDの研究を1973年に本格的に取り挙げようと決定したのは、所長の岩間和夫が電子カメラの開発に応用できる可能性を信じたからである。パソコンのSOBAXの失敗によってソニーの半導体部門が崩壊しかねない危機に陥っている中で、ソニーの半導体ここにありと言えるようなユニークな半導体をつくって外販することを考えたからでもある。岩間の与えたターゲットは「15年後に5万円のカラーカメラを開発」、しかも「フィルム・メーカーのコダックの心胆寒かしめるもの」というものだった 。越智は15人の開発チームのリーダーになった。
ディジタル・スティルカメラといいながらCCD自身はアナログIC部品である。2002年当時、ソニーはCCD素子市場の約40%のシェアを持ち、最終製品であるディジタル・スティルカメラでもキヤノンとトップを争っており岩間の夢は実現したことになる(図表1)。

図表 1  CCDの主要メーカーの世界シェア
社名 シェア
ソニー 39%
シャープ 22%
松下電器 20%
三洋電機 9%
(出所)電子部品年鑑(2003)

だが、開発は容易ではなかった。当初の目標は20万画素だった。しかし、まず世界最初のカメラの開発に成功したのはRCAだった。1974年、R.ロジャーズによってCCD固体撮像白黒カメラが発表された。ソニーでも原理的な物体は出来たが、いわゆるスタッキング・フォールトと呼ばれる現象のため、鮮明な画像が得られなかった。その欠陥をほぼ取り除く事が出来たのは76年になってからだった。77年に研究プロジェクトは、厚木の半導体研究所で開発体制に移されたが、それでもすぐには商品化できなかった。そんな時、岩間が挑戦プロジェクトとして受注してきたのが、全日空のジャンボ機の中に大プロジェクターに画像を映し出すことだった。開発チームは目標と期限を明確にすることができ、その実現を目指す中でCCDの開発の成功を収めた。それは同時に、80年にCCDカメラを世に出すことにも繋がった。
さて、CCDは軍事用でも重要な部品であった。ミサイルの先に装着され、攻撃目標を拐えつつ、自らを導いていくためには欠かせない存在だからである。ソニーで半導体研究を導いていた菊地は、製品発表前の1980年に、シュルンベルジュに買収されたフェアチャイルドを訪れた。フェアチャイルドではCCDカメラを使った戦闘機操縦のシミュレーターを開発していたが、白黒の貧弱な画面には白と黒の筋が何本も入っていた。スタッキング・フォールトは解決されていなかったのだ 。
軍事用に開発されたものは一般的に性能が高い。それは、民間より一段と高レベルの規格を提示した、いわゆるミル規格に合致した製品だけが受納され、また、そのための品質管理の手段を用いていたからである。たとえば、ミサイルの推進材料、つまり火薬メーカーのターレンは、暴発しない信頼性を統計的に管理できるよう全品をトレースできるよう単品管理していた。しかし、信頼性を上げるだけならば、冗長性を設計に織り込み、同じ部品を2個つけて、不具合が起ったときには別のものが作動するという逃げも出来た。軍事用では技術開発に甘えも出る要素があった。これに対し民生用ビデオカメラなどでCCDが使用される場合、大量生産する。そこで品質が悪ければコストが合わないので、たとえ厳しい品質につかうミル規格は適用されず、また全品管理ではなく、ロット管理であったとしても、高品質を目指す強いインセンティブがあった。方法的にも大数の法則で管理し易いチップとして生産されるので、米国が国防省の予算を使って開発したミサイル用CCDよりも高性能のものが廉価できるようになったのである。この強みはビデオカメラ、ディジタル・スティルカメラに利用されることによって強化され、日本企業が事実上独占していた。
ここで取り上げたCCDの例は二つのプロジェクトの間で時間的な差が少ないことから軍事からの需要特定化と民間からの需要特定化の差異を示している例だということもできよう。そして軍需CCDの失敗は極端なケースではない。自分の任期中に失敗を失敗と認めたくない国防省の官僚が、プロジェクトがうまくいっているように見せるために、コスト超過を隠そうとしたのである。そして、コスト超過を巧妙に隠すために、設計変更と「安全性の改善」のため、弾頭とロケットの結合部分の変更については「信頼性の改善」のためといった具合に正当化するようなことまでが行われた。確かにハイテク兵器はエレクトロニクスを取り入れることにより、その性能は向上し、命中精度なども飛躍的な向上を遂げた。だが、民間のハイテク製品と決定的に異なるのは、ハイテク兵器は性能は向上したが、価格が上昇した点である。
この非効率の軍事研究のやり方にメスを入れ、国防総省の契約や調達方式を大きく変えたのはクリントン政権下のペリー国防長官である。技術者出身の同長官は1994年、「国防総省は将来のニーズに応えられるようにするためには、民間の最先端技術へのアクセスを増加させ、そして国防総省へ供給する企業に対しては、世界レベルにある民間企業と同じようなビジネスのやり方を採用するように促さなければならない。」と改革の方向性を示すと共にミル規格の廃止の方針を打ち出した。翌年に軍事、民間を区別しないシングルプロセス構想が打ち出された。
この構想のもと、これまでのミルスペックや規制に縛られて工場ごとにばらばらに行われてきた生産を一つのやり方に統一し、生産段階の効率性を高めようとした 。テキサス・インスツルメンツのケースでは、組立過程における品質管理、検査、測定などに関する方式を、従来、同社が行ってきた民間用の方式に統一することを、国防総省当局に申請し認可され、19にのぼるミルスペックを廃止した。
民間からのアプローチも捨てたものではない。こうした経緯を踏まえて、日本では1984~5年を中心に米国とは逆に基礎研究所設立ブームが起こった 。ところが、日本でもバブルがはじけ中央研究所の研究資金をどうファイナンスして行くかというハードルを越えるうちに、次第に事業部の資金とその要請に応えるものに変わってきた。日立の基礎研も事業部からのファイナンスという形は導入していないが、「将来の日立にとって大事になるもの」というオリエンテーション、契約型研究員を三割程度導入といった変化で生き残りをかける体制をしいた 。この意味で、日本でも「中央研究所時代の終わり」が起こった。
その後、日立では事業ドメインをおおきく社会インフラに振ったが、他の大手企業にあっても、技術主導で頭でっかちの商品を送り出し失敗を重ねる中で事業分野の見直しをしている。そうした中で研究体制も見直しを求められている。科学技術のレベルも相対的に落ちてきており、興奮を呼ぶような日本での発見も先の山中伸弥教授のiPS細胞以外にみるべきものがない。成果が出てこない中で、イノベーションにおける国と民間での役割分担もわかりづらくなっている。

世界的にロボット開発が注目される時代のDARPAの関与

 日本は、産業用ロボットでは世界をリードしてきた。たとえば、産業用ロボットでは世界シェア5割の実績を、質量とも世界トップレベルにあるとされる。確かに日本では、メーカーとしてもファナック、安川電機などを持ち、自動車、電機などでは大々的にロボットをとり入れ、ユーザーとしても最大だ。安川電機の主力製品である産業用ロボット〈MOTOMAN〉は、延べ26万台の出荷台数を誇り、この分野での世界シェアはトップだ。
では、産業ロボット以外ではどうか。日本は90年代後半にはホンダの〈アシモ〉などに代表される2速歩行ロボットやソニーの〈アイボ〉のようなペットロボットなどの研究開発が盛んに進められた歴史をもち、基礎的な技術でも強いとされる。ところが、今や介護やリハビリなどを補助する「生活支援ロボット」や、無人飛行機は空中を自律的に飛び地上を監視するロボットとなると、日本人は発想が乏しく、用途開発、市場開発型の新ロボットでは弱いとされる。
さて、ロボット技術は典型的なデュアルユースであり、先端技術の開発でのDARPAの関与はあり得る話である。自動運転など、ロボットの先端を切り開いたという点で、東大先端研の高橋智隆准教授はDARPAのグランド・アーバン・コンテストが果たした役割は小さくないと指摘する。どの程度の役割を果たしているのか、瞥見してみる価値はあろう。
しかし、軍事という用途の前に、日本人の発想を止めていたものがあったことが指摘されなくてはならない。いうまでもなく、フクシマだ。福島原発事故で注目されたことは、災害時用ロボットは日本の原発は事故を起こさないから必要がないという需要の特定化であった。つまり、スリーマイル島の原発事故直後の1979年「極限作業ロボットプロジェクト」が始動し、さらに99年東海村JCO臨界事故を受けた「原子力防災支援システムプロジェクト」が組織され、放射線測定ロボットや原子炉建屋内のドアの開閉、スイッチ操作などを行うロボットが開発された。だが、事故が起きるという想定がない以上、ロボットは必要ないという判断が下され、ロボットは電力会社に納入されることもなく、倉庫に故障したまま放置されていたのだ。
 これに対し、欧米では原発災害現場などでロボットが不可欠であるとして長年、実践的な研究が進められてきた。フクシマ原発事故が起きた時、2号機の構内に入り、約50分かけて放射線量のほか温度、湿度、酸素濃度などを測定したのも、米国のベンチャー、アイロボットが無償提供した2台の多目的ロボット〈パックボット〉だった。 DARPAの役割はベンチャーが開発したモデルを買取ることであり、アフガニスタン、イラクなど世界の紛争地域で地雷、爆弾処理などのために後続機を購入し、デュアルユースの技術としての展開を助けたである。その御蔭で、アイロボットの〈パックボット〉は、米同時多発テロでの人命救助など他の局面でも活躍し、3000台以上が売れた。
一方、スウェーデン製の〈ブロック(Brokk)〉は、遠隔操作で動く、電動・油圧駆動の自走型作業者だ。密閉空間など劣悪な環境での作業に能力を発揮し、セメント工場や鉄の溶鉱炉などで耐火物やスラグなどの撤去や建造物の解体現場など、世界で4000台が活躍している。放射性物質の撤去にも使用されている。
さて、フクシマ原発の事故に関連してロボットを論じたところで、高橋のいうDARPAのコンテストの果たす役割に戻ることにしよう。実はDARPAは、まさにフクシマを念頭に、瓦礫が積み重なる過酷な状況でも作業できることという目標設定をしたロボットの開発で、2013年末にコンテストをフロリダで開催したのだ。具体的には、災害現場を模した会場が設営され、ロボットたちは瓦礫の中を歩いたり、ホースを消火栓につないだりする八つの課題に挑戦する仕組みである。
NASAやMITなどの強豪チームを押しのけて、参加16チームのなかで、断トツで予選を通過したのが、東大発ベンチャーのシャフトの制作になる〈エス・ワン(S-One)〉である 。NASAやMITなど強豪、16チームのロボットの多くが止まったまま動かなかったり、転倒したりするなか、シャフトの二足歩行ロボット〈エス・ワン〉だけは着実に課題をこなしたが、最期のロボットによる四輪駆動車の運転では、〈エス・ワン〉は腕と足を使ってハンドルやアクセルを器用に操作し、75メートルのコースを完走した。
この〈エス・ワン〉を制作したシャフトを買収したのがグーグルだ。グーグルがシャフトに目を付けたのはそれ以前で、同社を含めロボット・ベンチャー8社を一気に買収しているが、DARPAは、コンテストをすることで一種の商談会を催したことになる。1位で予選通過したチームへの賞金は15年に開催される本戦にむけての開発費の支援ともなり、ベンチャーキャピタル的機能ともなっている。
 国賓として来日したバラク・オバマ大統領が、分刻みの忙しさ中から訪問したのが、お台場にある日本科学未来館である。そして対面したのが、本戦に向けて開発途上の青いロボット〈エス・ワン〉であり、シャフトの元東大助教の中西雄飛と浦田順一だった。大統領は、開発する二人とも会話を交わしている。若者は答えた。「東京電力福島第一原発のように人が入れない場所で、代わりに作業します」「いま魂をかけて開発しています」、と。
このことは、日本の若者が果敢にむずかしい課題に挑戦している現実を物語っている。ImPACTでなくとも、ImPACTといった大層な名前をつけたプロジェクトを持ち込まなくとも、若者は、果敢な挑戦心を発揮し、それが成功した時に喜びを味わおうとしているだ。日本人の中にもそうした挑戦者はいる。先端の研究成果なり、技術が活かされないまま終わっているのは、むしろ規制を含め、それを受け入れようとしない社会のチェックが大きいのではないだろうか。
社会的フレームワーク、規制のもたらす心理的な枠組みによって、ロボット開発を失敗した例として高橋は、パナソニックの掃除機の開発の例をあげる。〈ルンバ〉に先行され、それに追いつくこともできないというのだ。だが、そうした例として、最も適切なのは、手術支援ロボットでる〈ダヴィンチ〉ではなかろうか。アメリカのベンチャー、Intuitive Surgicalによって1990年代に開発され、2000年にFDAから臨床用機器として承認され、販売され世界中で使用されている。1~2cmの小さな創より内視鏡カメラとロボットアームを挿入し、術者は3Dモニター画面を見ながらあたかも術野に手を入れているようにロボットアームを操作して手術を行い、高度な内視鏡手術が可能になった。
〈ダヴィンチ〉には日本のロボット技術が使われているが、日本では医療事故があったらどうするか等のリスクの考慮から開発が見送られ、NEDOが「がん超早期診断・治療機器の総合研究開発プロジェクト」でオリンパス・東大¬と支援して、内視鏡手術を支援するマスタ・スレーブ型手術ロボットの開発を促したのは、従来製品¬より小型化し、多関節マニピュレータを備え障害物を避ける能力が高いという改良型としてであった。後追いテーマの設定である。
フクシマ原発の事故をうけて日本でも過酷な災害現場で作業するロボットの開発が進められている。あるいは、四輪駆動車を運転するという課題は抜け落ちていたかもしれないが、課題設定はDARPAと同じようだろう。だが、こうしたロボットを開発・製造すべく選定されたチームは、開発した大学や企業の過去の実績が採用基準で優先される。技術そのものの優劣を競わせるのではないためにシャフトのようなベンチャーは選定されないのだ。官僚が開発に失敗した時を杞憂し、ベンチャーの開発したものを優先して購入するDARPAと違って、ベンチャー企業が開発する技術を採用しようとしないのだ。
同じ課題に向かってのプロジェクトの進め方で日米では対照をなしている。DARPAの開発モデルに優れた点があるとすれば、開発課題の設定、開発ギャップの発見ではなく、開発物を買い取り、ベンチャーを支援するだけでなく、新しいモノが社会の中に受容されていくプロセスも助けるといったプロジェクト推進の方法にあるというべきだろう。

「戦い」のフロントは標準・安全規制の作り方にも

新しいモノが社会の中に受容されていくプロセスも助けるといったコンセプトでロボット開発のための新しいイノベーションの場を、スウェーデンは創出した。医療福祉用ロボットに関する研究開発企業、大学が集積し、「ロボットダーレン」〔ダーレンはバレー(谷)の意〕を名乗っているストックホルム近郊のヴェステロースを中心とした一帯が、それだ。
そこには、もともろストックホルムの王立工科大学、ウプサラ大学、ABBのロボット部門があったが、スウェーデン政府とEUが出資する、産官学による非営利組織が推進母体として設けられ、ジーメンス、ボッシュ・レックスロス、GEに加え、日本のファナック、トータマン・エレクトロニクス(安川電機のロボット子会社)など大手ロボットメーカーが勢ぞろいした一方、エーレブルー大学、エメラレン大学などアカデミックや、ベンチャー、中小企業が集まってきたのだ。推進母体は、若手研究者の表彰をするほか、ヘルスロボティックス分野のプロジェクト推進マネジャーなどを置いて医療・介護ロボットの開発を産学官連携の下で進めている。
その成果の一つが、若いころに小児麻痺を経験し食事をするにも苦労したというステン・ヘミングソンが、起業後に会長となるファクリ・カライ博士などの協力を得ながら、開発したという医療用食事支援ロボット、〈ベスティック〉だ。この食事介助用の機器の製造はベンチャーとして企業化され、病院等へ販売されていたが、さらなる発展を目指して、世界最大の臨床記録作成企業で、音声医療記録の先駆者のエム・モーダル創設者、元最高経営責任者(CEO)のV・ラマン・クマールの150万ドルの出資を受け入れ、ベステックの高度な人工知能(AI)プラットフォームに、自然言語理解アプリケーションをつけていくことで、介護・医療ロボットのラインアップを図ることになった。
この〈ベスティック〉や病院内の自動搬送ロボットなどの開発を、推進母体のロボットダーレン側でプロジェクト・マネジャーをつとめたアダム・ハグマンは、「ロボット開発に占める技術の重要性は25%で、残りの要素としての政策や、ユーザーを初め、いろいろな人々の評価などが重要な役割を果たす」と指摘している。ロボットの開発には、技術以外の要素が大切で、開発コンセプトはユーザー・ドリブンのイノベーションだというメッセージになる。
アメリカの介護ロボット〈ジラフ(Giraff)〉を開発するジラフ・テクノロジーズは、スカイプ技術を活用したホームヘルパーの遠隔操作で、実績を挙げているが、もともとはシリコンバレーで起業されたが、実証実験の環境がシリコンバレーでは整わないとして、ロボットダーレンに本社を移し、製品販売にこぎつけた。ロボットダーレンが意欲的なユーザー、社会への受容性を評価する目利き、政策との擦り合わせができる行政などがそろっているということだろう。
ロボットダーレンに劣らぬロボット開発のメッカが、南デンマークにあるオーデンセだ。認定技術サービス機関であるDTI(Danish Technology Institute)が中心になって、世界の医療・介護ロボットの動向をさぐるリサーチ・オン・リサーチをして、その情報を共有する一方、必要と思われる技術、企業の呼び込みを行うことで一大クラスターを形成するようになったのだ。ユーザー・ドリブン・イノベーションの評価方法も確立させており、開発支援や実証実験をサポートする体制はロボットダーレンに勝るとも劣らぬとされる。大和ハウスのアザラシ型ロボット、〈パロ〉も現在では世界に3000体が出ているが、ここで実証実験を行い、認知症の快癒にも役立つということからアメリカのFDAの医療認可も、そしてEUのCEマークも獲得した。オーデンセからは、介護ロボットの他にも、中小企業向けの産業用ロボット、自動車製造オートメーション用ロボット等が開発、販売されている。
アメリカでの開発は、発想が優れているとされる。介護ロボット・ベンチャーのエクソ・バイオニクスは、カルフォルニア大学(バークレー)の協力を得てリハビリスーツの〈エクソレッグ〉を、そして3Dプリンターの雄、3Dシステムズと共同で患者個人の骨格にあった歩行支援型ロボット、〈E-レッグ〉を発売している。MITが歩行支援ロボットの〈パム〉を開発していることは知られているが、医療の街、ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学では様々な介護・医療ロボットの開発プロジェクトが進んでいる。
グーグルの自動運転も、トヨタ車を改造して自動運転を試みていた段階では自動車だが、14年に披露した自社設計の小型車両になるとロボットだといってもよい。車内にはハンドルやアクセル、ブレーキのペダルはなく、車の上に搭載したセンサーやカメラが周囲の情報を集め、人工知能を特別に備えたコンピューターがその情報を解析して自動運転する仕組みになっているからだ。つまり、搭乗者が目的地を入力し運転の「開始」ボタンを押すだけで目的地へ着き、そこで「終了」ボタンを押すことになる。20年ころに実用化を目指すという。自動運転は高速道路なら簡単だ。だが、一般道になると1000倍むつかしいといわれる。先に触れた〈エス・ワン〉を制作したシャフトなどを買収したのも、この自動運転ロボットの完成へ向けてのことなのだ。
こうなれば、車も人を運ぶロボットということになり、ロボットの用途は途方もなく広がろうとしている。
こうしためざましい技術革新の一方、機器の安全基準や運用のあり方についての議論は始まったばかりで、法規制はまだ整備されていない。CCW(特定通常兵器使用禁止条約)の議長国のフランスは、14年非公式専門家会議を招集し、ロボット兵器について、その定義、国際人道法との関連などを議論、検討する場とした。つまり、無人偵察機は今のところ遠隔操作されており正確にはロボットではないが、それに人工知能をつけて警告に応じないものに爆薬を炸裂するようプログラムして自動飛行させれば、立派な武器になり、重負荷の作業をアシストする介護服は、そのまま兵士をエンパワーする戦闘服になり、先に紹介したエクソ・バイオニクスもリハビリスーツの〈エクソレッグ〉の開発ではDARPAの援助を受けている 。ロボットがデュアルユース性を持ち、ほっておけば、そこにロボット兵器時代が迫っていることは間違いないだろう。この会議をフランスが招集したことは、同国はこの会議を出発点として、何らかの規制を導入することを考えているということだろう。だが、各国の思惑は介護、医療用にまで及んではかなわないという規制忌避派から、全面禁止派まで、ばらばらのようだ。
日本の立場は、筑波大学発のベンチャー、サイバーダインが開発した介護ロボット、〈HAL(Hybrid Assistive Limb)が製品規格としての安全性基準の国際的な認知を得るために提案した、生活支援ロボットの安全性に関する国際規格、ISO13482が作成され、それに準拠して、日本品質保証機構(JQA)がロボットスーツHAL福祉用の安全性を評価し、世界で初めて認証したことを手掛かりに、生活、介護、医療といった分野でのロボット規格の設定でリードを保ちたいというものだろう。つまり、新しいISO規格は各国の安全認証制度を前提としたものになっており、たとえば、ヨーロッパではEU(EC)指令の必須安全要求事項に適合しているとの認証を受けなければならない。それによって得たCEマークキング表示のある製品だけが、EU域内の自由な販売・流通が保証されることになる。アメリカの場合も各地にある保険業者安全認証書(UL)が同じような働きをしている。ただ、新しいISO規格が生まれたことから、こうした認証機関でも、これまで必要とされた水準値や最適値の見直しなり調整ができていくと期待される。
〈HAL〉の場合、人に関わるもののとしてISO13482の他に、医療機器としての安全基準、ISO13485も取得している。それは、ロボットとしての独自の安全基準がないので抵触しないよう基準の高いものにも適合していることを表示するためで、ISO13482 が誕生したことから、ある程度ハードルを下げた状態で世界が安全を認知するという意味で生活支援型ロボットの参入障壁を低くしたことになる。他の分野でも、グーグルの自動運転車のような場合、道路交通法を初めとする周辺法規をすべてクリアーする形でロボットの居場所探しが始まり、新しいテクノロジーが社会の中に入るため基盤が一つ追加されていくことになろう。
だが社会実装されていくには、“より安全な技術”というところに向い勝ちだ。1865年にイギリスで生まれたレッドフラッグ法は、蒸気自動車を運転するものうち一人は自動車の前を歩きは周囲に危険を知らせることと定めていたために、速く走る自動車への発想をつむなど、イギリスの自動車業界をライバル国から大きく遅らせることになった。つまり、安全へ性急に走りすぎると黎明期ある技術も進歩から取り残されたり、かえって社会に受け入られなかったりする危険をはらんでいるということだ。
要は、バランスが重要だということだろう。産業ロボットでは、事実上、機械とみなしてもっぱらロボットを使う側の責任を問う考えで法、規制がつくられており、たとえば、労働安全衛生規則 第150条4では「当該産業用ロボットに接触することにより労働者に危険が生ずるおそれのあるときは、柵又は囲いを設ける等当該危険を防止するために必要な措置を講じなければならない」とある。
 政府はこの条文の解釈を見直し、ロボットユーザーがリスクアセスメントにもとづく適切な安全対策を講じた場合、あるいはロボットメーカーとユーザーが国際安全規格に準じた安全対策を施した場合は、それを安全柵と同等と解釈することとした。
 何がメリットになるのか。安全柵を設けなくともよいという意味で中小企業へのロボットの導入が進むといったことが考えられよう。
だが、重要なことは、産業ロボットをユーザーの側から考え直すという機会を与えることではないか。それは、労働不足と加工の高度化のため、2014年にはロボットの最大市場になると見られる中国に対抗していくためにも是非とも必要な視点なのだ。もし日本のロボットでの躍進が最大のユーザーをもったことに支えられていたとすれば、工作機械で起こったのと同じ道筋で、中国が急速に迫ってくることも考えられ、これへの対応だ。
中国では人件費高騰に対応して、繊維、機械、エレクトロニクスなど幅広い分野で自動化機械、ロボットの導入意欲が高まっており、国際ロボット協会による2011年末の中国のロボット設置台数は、2万2577台で、5年前から4倍増という急ピッチでふえている。人海戦術で安値受注をして入るとのイメージの強い鴻海のようなところでもロボットの導入は盛んなのだ。副主席時代の習近平が、09年に訪日した際に訪れた唯一の企業が安川電機だ。安川電機でも、ライバルのABBでも、中国企業のロボット導入意欲は強いとの見方をしている。安川は、江蘇省常州市に東京ドーム二つに相当する敷地を確保し15年には溶接ロボットを中心に年6000台の生産を開始する。
では、ユーザー主導で産業用ロボットを見直したとき、どんなことが起こり得るのか。一つのヒントが、対人協調型ロボット、〈ユニバーサルロボット〉だ。このロボットは、先に紹介したデンマークのオーデンセから誕生したベンチャー、ユニバーサルロボットによって開発された。開発コンセプトは「安全かつ軽量、使いやすい」だと、同社のエンリコ・クロー・イバーセンCEO)がいうように、どの現場でも同社のロボットと人間が同一ラインで作業をする形になっている。今までとは異なる発想で開発され、生活支援型ロボットに似ているのだ。同社は2005年に設立され、初号機の発売は08年と歴史は浅いが、今やヨーロッパでは自動車業界に強い顧客基盤を持ち、ドイツのフォルクスワーゲンではモーターの組立ラインに、BMWではドア組立の一部工程に導入されている。2012年にIERA AWARDを受賞し、その名を世界に知られるようになり、すでに世界50カ国に約200の販売代理店網がある。
自律性をもって動くロボットは、それまでのユーザー責任から製造者責任へと、その責任構造を変えると考えられている。先の労働安全衛生規則の見直しでも、「ロボットメーカーとユーザーが国際安全規格に準じた安全対策を施した場合」と断り書きを入れているように、産業用ではメーカーは製造するがユーザーもいろいろ注文をつけ、ユーザー仕様に変えており、運用も共同していることも少なくないので共同責任はなじみやすい。だが医療用では、病院や施設、個人で使うことになる一方、使用する場面も工場の作業場のように隔離されていず、一般の生活の場だ。
誰も使ったことがないモノに規制をつくっていくことに意味は乏しいが、日本はアニメの世界でロボットの夢が育まれ、将来のロボット社会を疑似体験してきた。生活の場でロボットはどう取り入れられるのか。スウェーデンがとった方法は、テレビドラマ化だったように見える。2012年から放送された『フボット(hubot)・シリーズ』は人間(human)型ロボット(robot)なので、hubotと名付けられたロボット達が生活の中に入り込んできた近未来のスウェーデンの姿を描いている。老人と生活を共にし、介護をしたり、話し相手になったり、趣味を一緒に楽しむhubotもいれば、工事現場で危険な作業をするhubot、職業安定所で失業者に適した仕事や職業訓練を紹介するhubotもいるというものだ。1クールで終わるはすであったが、2クールの放送になった。それだけ、フボットくんが、人間の日常生活の様々な場面に浸透してくる可能性があるということだ。
技術の方向、社会に必要な共通認識を検討しながら、ロボットの開発、導入がスムーズにいくためのルールづくりが始まっている。イタリアのピサ大学を中心としたEUベースで倫理・法制度を検討するロボット法プロジェクトや若手法学者が中心になって進めるアメリカのロボット法検討会などだ。
DARPAモデルやそれを一部とりいれたImPACTといった大層な名前をつけたプロジェクトに過大な期待を持つ必要性はない。だが、DARPAモデルのフレームワークが思考のなかに入ることにより、フクシマで経験したようなタブーが消え、発想が豊かになり、ロボットの社会受容性も高まることが期待できよう。こうした柔軟な思考フレームワークを最大限に活かして、軍事用途、災害・危険物対応、医療、生活支援など、様々な用途を想定しながらも、ロボットに限らず新しい技術がうまく社会実装できるような“モデル”を作っていくことが肝要だ。



posted by 高橋琢磨 at 16:41| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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