キーワード:大学改革、秋入学、MOOCs,UCバークレーの改革、フンボルト・モデル、カリキュラムのチューニング
1.オリンピックに名乗りをあげた日本の大学
このところ新聞に旧国立大の全面広告が目立つ。先日、東京工業大学教育改革国際シンポジウムを聴く機会があり、これを機に高等教育のあり方を考えてみたい。
東工大は、日本を代表する理工系を中心とした総合大学の一つである。大学の形態としては、医学部を持たず、理工系総合大学という点でも、アメリカのMIT 、UCバークレーと似ている。そこでMIT、UCバークレーから来日した学事・研究担当の副学長がそれぞれのアンダーグラジュエートを中心に教育の現状と課題を報告した後に、三島良直学長が、2030年にMIT 、UCバークレー並みの世界トップ10入りを目指すための大学改革に着手したという報告をした。いうまでもなく安倍教育改革の中で世界トップ100大学に10大学をランクインさせたいという目標に沿ったものであり、その目標に向かって秋入学へ転換するという有力大学の共同歩調が崩れた後に打ち出された個々の大学の施策でもある。
15年がかりで世界のトップ10入りをするには、教授が教えられることだけを教えるという現状を2016年度から学習のステップを踏んだカリキュラムとして組み、カリキュラムの質がMIT 、UCバークレー並に保たれるようにし、単位の交換が可能にすることを目指すことが差し当たっての課題になる。大学院では英語の講義だけで十分なコースが用意できるが、学部では必ずしも、そうできない。そこで学期は、完全なクオーター制ではなく、二つのセメスターを二つの7週に分け、コースにフレキシビリティを持たせる一方、7、8、9月からアメリカの大学の夏学期に相当するクオーターを切り出し、ここで英語の授業を行い、アメリカの大学等から東工大への短期留学の受け入れ窓口にする一方、この間を東工大生の短期海外留学の窓にしようとしている。
コメンテーターの北城恪太郎IBM相談役は、三島学長の発表を、国体に出たことしかない日本の大学がオリンピックに出たいという具合に聞いたとコメントした。MIT 、UCバークレーの学生は、世界を変えたいという希望をもって大学へやってきて、彼らにリーダーシップを取れるように工夫して教育している。それに対し、日本の学生は海外へ出て戦うんだよとモチベートしてやるところから始まり、彼らの留学をプッシュし、サポートしてやる。とても小手先の改革では太刀打ちできない。MIT やUCバークレーでは、膨大な基金なり、寄付で大学が運営されている、それを国にお金をくださいということでメダルが取れるようになれるのか。
裾野も狭く、頂点も低い現状
北城氏の日本の大学も「オリンピックを戦え」という問題提起は、グローバル化、ICT革命が進展する一方、少子高齢化で活力を失い、高等教育、大学制度でも地位の低下が起こっている日本をどう再建していくかという視点を示したのではないだろうか。
日本の高等教育は、その経済、人口規模からするとあるべき姿からほど遠い情況にある。オリンピックを戦うためには、裾野を広げなくてはと、いわれる。まず、その普及状況を大学進学率で見ると56%で、OECD平均の62%を下回り、オーストラリアの94%はもとより、アメリカの70%、スウェーデンの68%などと比較しても低い。海外に送り出す留学生の数も、2005年の6万2853人から年々減少し、11年は3万8535人と、全学生の1.0%にとどまり、アメリカを除くOECD33か国の中でメキシコと並んで最下位だった。人口に膾炙される学生の内向き姿勢が数字にも表れているといえよう。
では、オリンピックを盛り上げるスターはいるのか。残念ながら、日本の大学の評価は、必ずしも高くない。イギリスの大学教育雑誌、Times Higher Educationが行っている世界大学ランキングでは、トップのカルフォルニア工科大学をはじめ、トップ10大学はすべて英語圏、さらには米英で、先に東工大が目標にあげたMITとUCバークレーも5,9位にランクされている。しかもロンドン周辺から3大学、カルフォルニア州から3大学、ボストン地区から2大学と、優良大学はクラスターをなしている。
英語をベースにした評価にかたよりがある、選定にバイアスがあるといった批判もないわけではない。だが、トップクラスのジャーナルは英語で出版されており、それらを主宰する大学には世界のトップクラスの学生、研究者が目指す大学でもある。表には、ある程度の妥当性があるとして、次にみるように、安倍首相も日本の大学にもそのランキング入りを目指せというのであろう。2012-13年におけるランキングでトップ100大学に入るのは、東京大学が27位に、京都大学が54位に入るのみで、東工大も、三島学長も当面のライバルとする東北大、大阪大も100番台にランクされている。トップ10大学は、カルフォルニア大学(バークレー)を除きすべてが私立大学だ。日本の場合、私立の慶応、早稲田になると300番台で、国公立では名古屋大、首都大、東京医科歯科大あたりが200番台ということになる。
2. なぜ低下したのか
東工大の大学改革案を、国体に出たことしかない日本の大学がオリンピックに出たいという具合に聞いたという北城氏のコメントが示唆するように、日本は内向きになり、冷戦後のグローバルな世界での日本の立ち位置に目を配ってこなかった。その間の低下が激しい。なぜ地位低下が起こったのか、今一度立ち返ってその背景を見てみよう。
入試と学生の質、やる気の問題:
日本の大学教育の劣化は、研究し教育をする側の質の低下だけにとどまらない。つまり、学生の学習意欲の低下も著しいとの見方だ。大学に入ることが目的化し、大学が受験勉強後の疲れをいやすレジャーランド化しているというのだ。1週間の学習時間が6時間に満たない学生が半数を超える状況で、海外留学への熱意が乏しいのも当然だと見る人も少なくない。
これには、知識偏重の入試のあり方も問題だとの指摘が多い。キャッチアップメンタリティそのものの知のあり方を踏襲して、透明性、公平性が確保されているとして平然としているからだ。学習塾の受験対策の勉学の仕方も整然としてきて、一種制度化している。
大学の分野別質保証に関する問題を検討した学術会議の委員会が答申の形で指摘した、大学を巣立っていく学生たちが担い、そして新たにつくりあげていくものとしての社会への接続性を十分に考慮した教育がなされていなかったことが問題だったとの見方もできる。教育内容が社会の必要とするものに合致していなかった。先に見た、教えられるものを教えてきた弊害だ。逆に言えば、情報エレクトロニクス産業に端的に現れた日本企業の雇用創出力の低下を日本の高等教育のレベル低下の原因の一つに挙げることが許されよう。つまり、学生の理系ばなれは、日本の経済運営者、日本企業の経営者の責任でもあるとの見方だ。
就職試験の早期化の問題も、経営者の怠慢が求人と求職の力関係を崩していることの反映でしかないとの指摘になる。日本の「失われた20年」が、日本の経済力、国力の低下だけではなく、学生たちに、それを目指して学習したいとの意欲を低下させ、修学機会を失わせていると言えなくもない。つまり、長く続いた就職氷河期に加え、20-40歳台の所得も低下しており、大学で学び社会に出るという行為を経済システムとしてみても、それが十分にペイするだけの効果を生んでいなかったということでもある。
だが、同時に、国立大学の独立法人化はあったものの、少子化のみならず、国家財政事情の悪化、教育の質保証の問題など、多くの課題にどう取り組むのか、大学改革が進んでいなかったことも事実だ。2000年に大学審議会が「グローバル化人材の在り方について」を答申して10年余を経るが、その間は前の10年と合わせ、武藤敏郎大和総研理事長の言うところの「大学の失われた20年」ではないかとの見方につながる。
若者に投資をしてこなかった日本
だが、「大学の失われた20年」というのは、まさに武藤が前職、つまり国家予算での配分を誤ったことが最大の原因ともいえる。なぜなら教育への公的支出の対GDP比で見て日本は3.6%と、OECDで比較可能な30か国の中で4年連続最下位に甘んじているのが現状だからだ。北欧諸国はデンマークの7.5%を筆頭に公的支出の比率も高いが、経済成長率も高い。すなわち、北欧諸国でも、公財政支出により教育機会を増やしアメリカ並みの大学進学率を確保し産業人のレベルを高める一方、セーフティネットを用意した上で雇用の流動化を進めた。いずれも、大学から産業界への橋渡しが高度化しているから流動化も可能になり、産業の高度化も可能になっているのだ。
日本の財政は、国債費がGDP比10.9%になっており、これで29.1兆円と、1990年度には11.6兆円に収まっていた社会保障費をまかなっている。老人を保護するのはよいとしても、若者へと投資である教育費を削っていては国が成り立たない。一票格差が是正されず違憲状態にあるために、明らかに農民の主張が国政を預かる者の目に大きく映っているのと同様に、老人の利益が保護され過ぎているのだ。
予算の制約がある中で、明らかに介護が手厚すぎ、人材がグローバル化時代に対応できる体制にまで訓練を受けていないのだ。北欧諸国並みの産業の高度化を図るには、人材の流動化を図る以前にカネをかけてグローバル化人材の育成を進める必要があるのではなかろうか。
3.大きな予算制約の中で強いられるグローバル競争
安倍首相は、13年5月の教育再生会議の提言を受ける形で、経済成長に資する施策としての教育改革を提唱し、向う10年間で大学世界ランキング100位以内に日本から10大学がランクインすることを具体的目標に掲げ、2011年に世界の留学生の3.5%を受け入れた海外からの留学生を倍増させることを目標に、留学生の勧誘をも兼ねた海外拠点づくりをすべきだとした。先の東工大の改革案はこの目標に沿った案だということになる。
では、北城氏がいう政府におカネをちょうだいといって叶えられるのか。かつて財政健全化の掛け声の下、これ以上に大学予算が大幅削減されるようなことがあれば、人材教育を担うべき大学システムが崩壊すると警告をならしたのは、浜田純一東大学長であるある。下村博文文部科学大臣も教育の投資効果を認識し、教育予算をOECD平均の5.4%までは持っていく必要があると発言している。
だが、下村発言は現行の文科省予算をほぼ倍増することを意味するが、14年度予算でもその匂いすらない。それどころか、原発停止とアベノミクスによる円安誘導によって引き起こされた経常収支の赤字、政府債務の積上げによって、「日本売り」を引き起こす危機が増幅されてきている。下村発言を担保できる政治環境は醸成されてきていない。つまり、一筋縄では行かない課題であって、教育・研究予算への配分が引き上げられるのは、選挙制度の改革、政治・経済構造の改革があって初めて可能なことだろう。
激しい新興国の追い上げ
では、時期を待つのか。本物のオリンピックでは、スポーツということもあって、新興国には強豪国が多い。学問のオリンピックでも新興国の実力は無視できるような存在ではなくなってきている。以下、その間の事情を見ていこう。
経済でも、グローバル化の進展によって途上国の追い上げが激しく、多くの産業が途上国へと移転していっている。しかも、設計思想でのモジュール化の進展によって、本来、先進国に残るはずのハイテク部門までが途上国へと移転している。中国は、こうしたモジュール化の最大の恩典を受けた国だ。インドはしばらく前まで戦略的に物質特許ではなく製法特許制度をとって医薬品などではリバースエンジニアによって医薬品を世界一低コストで生産できるようになっており、アメリカはインドのジェネリックを「意図的に」ブロックしなければならないほどだ。
先進国には途上国にはできない、新しい産業なり、途上国の企業が手掛け得ない特色のある財・サービスを提供しなくてはならないようになっている。だが、それがスムーズにはいっていないのだ。つまり、先進国には技術創発が求められているが、新興国のキャッチアップのスピードに追いぬかれているのが現状なのだ。『教育白書』では、先進国の経済成長と大学進学率の関係を見ると、進学率の高い国ほど高い経済成長をする傾向が見られるといっているが、もう少し幅広くデータをとったダニエル・コーエンたちの論文を見ても就学年数が上がることで新興国の経済成長率が高まっている。それだけ技術吸収能力が高まっており、それがキャッチアップスピードを速くしているのだ
では、研究のレベルでは、先進国は安泰かというと、これでも新興国の追い上げは急なのだ。たとえば、中国である。いわゆる一流ジャーナルに掲載される科学論文数でみると、日本は2013年を待つことなく中国に凌駕された。2013年を待つことなくと断った意味は、10年前に筆者はストックホルム財団が主催するシンポジウムで、中国が日本を凌駕するという予測をしたところ、欧米中の出席者からそれはあり得ないと反対されたことがあるからだ。
筆者の論点は、科学予算の増加ペース、留学後海外に滞在していた研究者の呼び戻し等々、ならべたものの、ほとんどクオリティ論文の数だけの数値評価に徹するとしていた同国の科学者評価システムが効果をもたらすと見たことにあった。結果は、筆者が指標としてあげた一流誌に掲載される論文数では、2009-11年の平均で日本が7万6149篇であるのに対し、中国13万8457篇、引用回数の多い、つまりインパクトのあるとみなされる論文数でも日本の671篇に対し中国1148篇である。筆者があり得ないだろうとしたインパクトのある論文の比率でも、日本は中国に抜かれてしまった。
確かに中国の論文は「力わざ」で達成されたものであり、中国科学院の穆荣平・科学技術政策・管理科学研究所長も認めているように、政治改革ができないなかでは、イノベーションへとスムーズにつながっていないし、ノーベル賞クラスになればまだ日本の地位は中国を凌駕しているといえよう。だが、先進国の知識・ノウハウを身につけた研究者が帰国後も豊富な研究資金を梃子に海外の研究者と共同研究することで、人材の大交流が起き、研究レベルが向上してきている。日本の科学は、世界最速のスパコン「天河2」で中国に負けただけにとどまらず、かなり広範な分野で、量でも、質でも中国に追いつかれていることは認めなくてはならないだろう。
大学のランキングでも、東大と京大の間には伸びしろの大きいアジアのライバル校が並ぶ。中国の北京大学、清華大学、韓国のソール大学、植民地大学の伝統をもつ香港大学、シンガポール大学等々だ。つまり、現代の中国は外国のコースをそのまま、つまり英語で教授ごと移植したり、採用する教授を一流ジャーナル掲載での論文での評価に絞るなどの改革を通じて日本の大学レベルを超える勢いなのだ。シンガポール大学、香港大学も中国語、英語のバイリンガルの教授を世界中から呼び戻すための競争を経て、今では英語人材での戦略的な構築をしてランクを上げている。ことにシンガポール大学はエール大学との共同で、東洋と西洋の比較、超克をめざしてアジア新時代のリーダー育成をめざすリベラルアーツ教育を始める。
こうした動きに飽き足らす、香港科技大学のように、理系と経営学を核にして、すべて英語の講義とするなど国際化戦略の成功でアジアのライジングスターの一角にのしあがってきたところもある。イタリアのボッコーニ大学、アメリカの南カルフォルニア大学と組み、3か処での勉学体験をするMBAコースは売りの一つだ。韓国でも事大主義でソール大学の改革が進まない恐れをいだき、世界トップのCaltecを模して浦項工科大学校がもうけられ、中国では効率的な詰め込み教育でのキャッチアップ後を見据えて南方科技大学が創立されている。科学・教育の分野でもグローバル競争は文字通りグローバルになってきており、大学改革でもアジアに先行されているのだ。
4.痛みを伴う改革があって初めて生まれる好回転
衰退している国を盛り返すにあたって教育のあり方を見直すことは必要だ。安部首相は、前内閣時に、教育基本法の改正をしている。戦後の行き過ぎた、あるいは歪められた平等教育を見直そうという理念だったと解釈される。つまり、追いつけ追い越せの時代には底上げに教育の国家の基本があったが、工業化時代から創知情報化時代への変化、グローバル化の進展の中で、グローバルリーダーの出現が重要になったという認識から頂点引上げ教育を目指すになったとの意味であろう。ところが、今時内閣では、そうした環境、時代認識の変化以上に、近隣の中国や韓国の台頭に刺激をされ、愛国心が教育されていない、歴史教育に偏りがあるといったフレーズで、教育基本法の改正をナショナリズムに結びつけようという気配が強いように見える。
だが、時代の要請が、先端を切り開くという精神を求めている時に、ローカルな刺激から単なるナショナリズムに導くことは果たして望ましいのか。靖国参拝同様、むしろマイナス面が大きいといえよう。
日露戦争後の教育改革との比較
大学のオリンピックに出るとは、どういうものなのか。「大学の失われた20年」を世界の先端を開く「知」を十分に担える大学に転換しきれなかったことと要約できるとすれば、同じようにキャッチアップを終えた日露戦争後の明治・大正期の帝国大学と比較することが可能であろう。なぜなら日露戦争での勝利は、明治の国民に一種の成就感を与えたたが、同時に世界の先端に立って何をしたらよいのかとという不安にかられた時でもあったからである。つまり、追いつき追い越したとの感慨も束の間に、では、それまでの教育システムをどう変えたらよいのかという問でもあったのだ。
高校・帝大は欧米との制度補完のため秋入学で、高校入学に半年のギャップイヤーがあった。だが、明治末の平均的な帝大生は、23歳で入学、27歳で卒業という姿だった。小学校から大学卒業までストレートでいけば、20歳入学、23歳卒業であるはずのものが、当時の帝大の学生は半年のギャップイヤー以上に長い「無駄な時間」を要していた。なぜかといえば、欧米の一流どころの大学に比肩する実力を維持するには、厳しい入学基準を採用し、外国の学生・教師と対等たるためには外国語では非常に高いレベルを要求されたため、浪人したり、落第したりしているうちに、そうなってしまったのである。
欧米の一流どころに伍した教育品質を保つというあり方は、日本が独自の評価基準をもっていなかった恐れも示唆する。英文学者、夏目漱石が東大を辞したのは、同じ日本人研究者でも理科系は若くして教授に登用されているのに、自分が講師に留め置かれていることへの抗議だとされる。同じ講師だった上田敏が京都大学に招かれ、教授となったことで「解決」されることになるが、文部官僚の頭の中に、英文学の教授はイギリスから招聘する人のためで、日本人研究者は欧米の研究の翻案でしかないとの考えがあったためだ。一方、理系の日本人の教授が若くして教授になったのは、実験をし、先端の「知」での貢献では西洋の研究者と比較可能であるからだと漱石は考えたようだ。
当時の高等教育は、事実上、高・大一貫教育である。教養教育をになった高等学校のあり方については、日露戦争後の文相になった牧野伸顕が、一般教養、人格教育、社交性などのシンボルである新渡戸稲造を校長に任命した。日露戦争での勝利がバンカラ、孤高主義で鳴らした一高をいっそう傲慢な、国際性のない学生にしてしまうことを恐れてたからである。それは直感的には正しい任命であっただろう。新渡戸は、イギリスのイートンなどを参考に一高を自由な校風の高校に変えた。
当時は高校入試が難関だった。それに帝大生を落第させて、優秀な若者を27歳になるまで西欧基準の教育の桎梏の下におくのは、だが、人生わずか50年の時代に不合理である。国内では若い官吏をはやく雇いたいというニーズがあった。
日露戦争での勝利はあっても軍人志望がただちに減少したわけではなかった。第一次大戦後の軍縮で初めて人気が落ちたにすぎない。そもそも欧米基準だけで日本の高等教育を律する時代は終わったのだ。1918年に発令された大学令は、翌年には慶應、早稲田など8私大を誕生させるなど高等教育の普及を目指す、平等社会を求める世の動きの中での新しい大学像を追及するものだった。講座制の規定もおかれなかった。
一方、改正された帝国大学令には、教育と研究の両方を担うことを謳い、講座制が明記され、それぞれの単位で研究を続けるヨーロッパ型のスタイルが維持された。多くが講座制を望んだからである。講座制については、京都大学の学内議論では廃止が多数であったことが知られている。学術の顕著なる進歩に対応するには硬直的だというわけであろう。だが、東大を含めた他大学では堅持されることを願っていた。そして、予算が定額制から講座単位当たりの積み上げによって組まれるようになると、それは自身の身分保障に加え、研究予算が保証されることを意味した。
一方、先進国の一つとなったからには、研究でリードし、世界に貢献していかなければならないと、新渡戸を筆頭に、吉野作造、美濃部達吉、大河内正敏など15人の東大教授が、大学とは別に優秀な卒業生を選んで学術研究所で、実験設備なども整えて大型の研究ができるような学制改革をすべきだと意見書を提出したのは、1918年のことだ。「大学をもって最高の学府と見なせる時代はすでに過ぎ去らんとす。現時世界における学術の顕著なる進歩は研究微に入り細に及び、一事の薀奥を攻究するもまた当に学者の一生と巨多の財力を費やすべし。」うたっていたが、研究所はすでに理化学研究所があり、そして北里柴三郎が創立した伝染病研究所を東大の付属研究所にしていたこと、関東大震災の復興などに資金が必要であったこともあり、新しい研究所を設けるという機運になかった。
ただ、東大は研究大学であるとの襟持をたもつため、春秋入学であった私大とは別であると、秋入学にこだわった。外部圧力で1913年に始まった学年歴の変更を審議する評議会もだらだらと断続的だった。先に見た1922年(大正10年)4月制へと移行を決めた評議会が20年に開かれたのは、前年に中学高校の修学年限が引き下げられ外堀を埋められたため受諾せざるを得なくなったためだ。
その後の大学のレベル低下の原因は、欧米大学との間にギャップイヤーを持つようになったことなのか、昭和の時代のナショナリスムなのか、講座制を維持し日露戦争が終わっての自己満足にひたっていたことなのか、詳細に立ち入る時間はない。だが、いずれも内向きの姿勢を示すものであり、その内向きの姿勢が原因であることは間違いないだろう。
5.「変化」を態度で示すところから始めよ
先の東工大のシンポジウムでも、北城氏から大学の入学制度を変えることにより、入試のためにと組み立てられてきている高校までの教育のあり方も変わっていくはずで、東工大が進んで、学生の採り方を変えるべきではないか。
京都大学は、一足先に、16年度から高等学校での幅広い経験を評価に加える「特色入試」を開始すると発表している。とくに医学部では、高校2年生でも国際科学オリンピックの出場経験があれば出願できる「飛び入学」制度を導入するとして話題になっている。ただ、これらは少数の枠を設けているだけで、北城氏の質疑は一般入試そのものを変えろということであろう。
三島学長からは、入試の抜本的な改革も検討中であること、その過程で大学入試のあり方は中学・高校の教育の改革とにわとりと卵の関係にあり、現行システムでも東工大にそれなりにふさわしい人材が採れているとの見方も出たとの紹介があった。16年度から新制度採用が可能になればという回答だったが、そもそも統一テストに代わって高校在学時代に学力の到達度をチェックするテストを課す一方、統一テストでは多くの教科にまたがる問題を出し、問題解決型の回答を段階評価するものへと変えるという案が浮上している。
とうぜん、キャッチアップメンタリティとの決別を明確にした入試でなくてはならない。世界を変えたいと大学に入ってくる学生を教育するアメリカと、大学入試バーンアウト症候群に至る学生をかかえる日本の対比は大きいからだ。入試制度の背後にある、学生が何をしたいのか、何になりたいのかという目標が、大学入試、アドミッションの以前に形成されている教育がなされている必要があるのだ。
だが、アベ大学改革を超えた施策が考えられ改革を進めない限り、トップ100大学へ10大学を入れることは不可能に近い。財政制約の中で、いかに大学機能を向上させるのかという観点が欠かせない。そして乏しい財政余力の中で、教育、研究開発に資源を投入するには国民の支持が欠かせない。
欧米でも「痛み」を伴う改革の後に
欧州では国家財政が傷む中で大学の改革が行われ、改革を経た大学に財政援助が行われるという例が多い。先にあげた北欧にかぎらず、大学ランキングの高いイギリスにあっても、政権は二転三転しているが、基本、保守党政権時代のNPM的なシステム改革が持継続される中で、高等教育を含む教育への予算増大が図られてきたことによって、高い大学ランキングが保たれているのである。
東工大のシンポジウムに登壇した州立のカルフォルニア大学(バークレー)の場合も、カルフォルニ州の財政基盤が揺らぎ、社会が必要とする人材や知識技能を持った者の需要の量と質も変わるという危機の中で、改革を行い、カリフォルニア大学システムでは最良の学生をリクルートし、高い研究、教育水準を維持するという任務を果たしてきた。すなわち、州の財政寄与は、2003年の約40%であったが13年には約10%に低下するという財政危機の折には、1144件の特許から生じた6億8500万ドルのロイヤルティ収入も役立ったとはいえ、研究分野でもトップクラスの貢献をしているのは、州財政の寄与が1になる中で,寄付3、外部研究プロジェクトの獲得3、そして授業料の引上げ3の割で賄うようになったことだ。たとえば、学内ノーベル賞学者22人、卒業生ベースで29人は世界でもトップクラスだ。授業料に引上げでは、十分な奨学金という目標に沿って、学部学生に対してもその40%に奨学金・授業料免除を行っている。
財政の大きな制約をもつ日本でも、UCバークレーの財務面での変貌ぶりにならうべきではなかろうか。
かつて筆者が提案したのは、官僚組織の伝統から法的拘束時間が長いことが指摘されている旧国立大の場合、拘束時間の削減、つまり「休暇」見合いで25%の報酬カットをし、その削減した報酬を競争的な研究資金として再配分することである(拙稿『私家版 マニフェスト:土建国家から人を活かすエコ・創知国家へ』)。つまり、カットされた報酬は競争的になる形で研究遂行のための人件費として取り戻されることになる。は、失われた20年で平均報酬が減少していること、平均報酬が減少していること、兼業規定の緩和が行われたことへのけじめ等々を織り込んで、リストラしたことを世間にはっきり見せ、大学への関心を高めることで、初めて研究資金への投入が可能になると考えたからでもある。
UCバークレーで授業料の引上げが機能しているのは、引上げの一方、半数以上の学生が奨学金、授業料免除を受けることができる構造になっているからだ。日本の社会で奨学金(貸与でない)をすぐに拡充できる体制がない以上、「休暇」見合いの減俸は一番バランスのとれた措置でもある。再編された旧国立大は人事としても、年俸制へと変革していくステップにもなる。
MOOCsの活用も大学改革の大きな柱
カルフォルニ州財政の危機と州立大学システムの改革では、サンノゼ州立大学、サンフランシスコ州立大学等、いわゆる州立大学では、トップティアのUCバークレーやUCLAとは異なる形で改革が行われ、そこではMOOCsを用いた反転教育がコストパーフォーマンスのよい教育として大きな役割を担っている。その一方、MOOCsには、大学がMOOCsを優秀な学生をリクルートするための道具として活用する、スタンダードなものは英米の大学が提供することが多くなり、MOOCsへの貢献の少ない日本を不利にするなど、アメリカが知での覇権を維持するための手段ではないかとの見方もある(拙著『苦悩し、変貌するアメリカ』KDP、http://www.amazon.co.jp/dp/B00DJ7V0VO/)。だが、先の東工大のシンポジウムに登場したMITやUCバークレーの報告のように、最近では学生の理解度チェックのために簡易版MOOCsの利用は、両大学でもどんどん利用されるようになっている。MOOCsの利用が、大学のカリキュラムをステップ化し、相互調整する上で不可欠にもなってきているからだ。
オリンピック選手の養成のためには、北城氏がいうように、カネをかけなくてはならないが同時にトレーニングも科学的に考え、効率的、効果的にしていく必要がある。MOOCsは、その科学的トレイニングの基礎をなす。
日本の大学でも、アンダーグラヂュエートのカリキュラムの英語化を進めるためにも英語版のMOOCsを用いた「反転教育」を活用すると共に、日本語版MOOCsを大学のカリキュラムをステップ化し、相互調整、さらには大学教育の品質保証のために活用すべきだ(『新世代オンライン教育、MOOCsと大学改革』http://www.amazon.co.jp/dp/B00DW4RFIG/)。つまり、MOOCsは、教えられる内容を寄せ集めただけの現行カリキュラムを短期間に構造化し、相互調整のできたカリキュラムに変え、大学改革を進めるためには不可欠なものなのだ。教育面からの大学評価に際し、大学評価機構のような裁量制による評価だけではなく、たとえば、一つの学科についてコアとなるいくつかのMOOCsのコースを選び出し、そのコースの実施によって学生がどれほどの学びができているのかをチェックすることによって、教育の質を測るというような定量的手法を取り入れていくべきではないかというのが提案の趣旨だ。これは、東工大がMITやUCバークレーと単位交換ができるよう講義内容の摺り合わせをしていること、2000年にヨーロッパで始まった大学間で教育の内容とその成果に関する情報を共有し、交流を促進するために行われているチューニングとは補完的なものになろう。
筆者は、『組織科学』に寄せた「大学評価:ルールか、裁量か」では、定量化は情実を排し、短期的には有効だが、長期的には問題がありえる。客観的に見えながらかならずしもそう言い切れず、専門家による裁量的判断も欠かせないとした。だが、改革を短期間に進めるためには、中国の大学が改革を徹底するために教員採用、評価に、論文の数、その質だけで数量化したことならって英語版、日本語版MOOCsをベースに品質管理をしてもよいのではないか。
大学のガバナンス改革は必要か
東京大学の浜田純一学長が熱意をもって秋入学を梃子に大学改革を進めようとしてできなかったことは先に触れた。秋入学のとりやめは、就職活動など世間への配慮もあろうが、今後の課題として英語講義の拡充、外人教師の増員をうたうなど、留学生を大々的に招くだけの陣容が整っていず、大学院に十分な質をそなえた留学生がとれないなど大学に競争の自信がなかったために、いわゆるフンボルト・モデルを主張する教員による改革拒否だったとられても致し方ない面もある。つまり、フンボルト・モデルが大学自治といいながら、教授会の意思決定権限(特に拒否権)が、その意思決定によってもたらされる財政的・戦略的な帰結に責任を負うことなく行使され、経営体になっていないという負の側面をもつことを指しているのだ。
もちろん、冒頭で見た東工大の例のように、秋入学制挫折後に、大学改革が進められており、半歩前進であることは間違いない。だが、改革のスピードはその程度でよいのかという疑問が残る。改革のスピードの妥当性をチェックする指標の一つは、トップクラスを目指す大学での受入れ留学生の増加と送り出す留学生の増加になるかということだろう。秋入学への転換は、ギャップイヤーをなくすことで日本から海外への留学を促進すると同時に、日本の大学が海外からの留学生の受け入れを増やす契機にしたいとの思惑があったからである。
教育は息の長い投資である。当面、改革の行方を見守ることになろうが、その進展が遅いとすれば、欧米の一流大学とはまったく懸け離れたガバナンス構造にあることに注目が集まり、大学改革には外からの圧力も必要だという北城氏のような議論が勢いを増すことも考えられる。アベノミクス推進の一つの柱として教育改革を置いており、参議院選挙後にもクオーター制だけでよいのか、自治任せの大学ガバナンスでは改革は不可能だ、日本版Caltecが必要だといった議論が百出する恐れもある。そうなると、大学改革の一環として、大学ガバナンス改善の立法化も考えられる状況が生まれる可能性も出てくるのではないか。
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