2014年08月31日

2014年9月号  日本における「法の支配」と民主主義 - 高橋琢磨

【趣旨】
「法の支配」を提唱する安倍首相が、憲法解釈や、一票格差問題無視など、「法の支配」を原則を冒しているのではないかとの議論がある。そうとも言えるだろう。だが、1885年に著されたアルバート・ダイシーの『憲法序説』の原著が5000冊も輸入されたという戦前の日本に立ち返って、日本の民主主義と法の支配の変遷を見るなかで、戦前と戦後の断絶の修復作業に思いをいたすことも、69年目の夏にふさわしい作業ではないか。

【キーワード】
終戦と敗戦、明治憲法、憲法9条、法の支配、民主主義、議会、昭和天皇


今年の夏は、戦後69年目だった。世の中ではウクライナ、南シナ海問題などが起こり冷戦後の時代が終わって、新たな混迷の時代に入っている。その時になぜ日本だけが未だに戦後なのか。しかも敗戦と言い切れず、終戦などといって誤魔化している。『敗戦後論』を上梓した加藤典洋も、雑誌『世界』に登場する顔ぶれの変化を「巴投げをくった」ようなものだとし、敗戦による「ねじれ」が依然消えていなまま今日へとつながっているとする。
この夏に出版された吹田尚一『近代日本の興隆と大東亜戦争』は、戦前昭和、戦後昭和の断絶をみずからの体験とする世代による著者による「断絶」修復への渾身の挑戦である。加藤は、戦後日本人の人格的分裂を克服するためには、「語り口」が重要だと指摘したが、吹田の態度は「語り口」を超えて、「大東亜戦争は何だったのか」という問題に正面しており、読み手も、息が詰まる思いをする。
 筆者は、吹田のように「ねじれ」や「断絶」を自らの体験とした世代ではない。加藤と同じように読み聞きするなかで痛感するようになった世代だ。だが、五百旗頭真のように安易に戦前と戦後はつながっている、あるいは吉田茂のようにあの時代の日本は一時的な迷いをしたのだと簡単に片づけたくないという思いは、吹田と共有する。
しかしながら、吹田のように日本が大東亜戦争に突入していったのは様々な理由があったのだと跡づけ思惟を深めていったような準備ができていない。そして、日本の敗戦にもかかわらず昭和という時代に天皇として在位し、戦前と戦後にわたる時代を「繋ぐことができた」ほとんど唯一の存在であった昭和天皇の『昭和天皇実録』も未だ読むことはできない。
そこで、日本における「法の支配」を簡単に振り返りながら、五箇条の誓文以来の日本の伝統だという民主主義の様相をみることで、戦前昭和と戦後昭和がどんな関係にあったのかを探ることをもって敗戦の69度目の記念日の感想としたい。

昭和天皇が引き継いだ明治憲法

昭和天皇が、自らが統治するにあたって、引き継いだ憲法は、1889年に公布された明治欽定憲法である。明治時代に憲法を制定するミッションを負った伊藤博文は、先進国のイギリスやフランスよりも、そして新しい国、アメリカよりも、後進性の高いプロシャをベンチマークすることが適切であると考えた。プロシャも近代の超克をする仲間であり、ことさらに日本だけが近代の超克をせまられることはなかったからだ。イギリスをベンチマークして日本を建国していこうと考えていた福沢諭吉もまた、実際の政策論議を始めてみて、乏しい国力を考えれば致し方ないのかと、富国強兵を唱えるようになっていく。
明治憲法では、天皇は国務大権の長でもあり、戦争遂行での長、つまり統帥大権も握っていた。さらに水戸国学の流れをくんで神道を国家神道とし、天臨した神の「万世一系の子孫」天皇によって統治される、神政国家として構築されていた。明治維新に際し、日本は、国民の統合を図るべく、キリスト教国家のひそみに倣ったものである。
このころ、イギリスで「法の支配」を提唱したのが、オックスフォード大学の憲法学者(ヴァイナー講座担当教授)のアルバート・ダイシーである。1885年に著された『憲法序説』は今日も「法の支配」のバイブルとされる。故伊藤正巳とともに同著の翻訳者になった筑波大学名誉教授の田島裕は、『議会主権と法の支配』を上梓し、民主主義とは国民に国家主権があることを意味し、その国民の意思は議会を通じて確定されるとし、法の支配が議会主権、民主主義の根幹となっていることを説明する。イギリスの議会は、万能の権力をもっており、法律を制定することによって、国民の生命を奪うことすらできる生殺与奪の絶対権利をもっていると、その議会主権の権能を表現している。
ダイシーの『憲法序説』は、君臨すれども統治せずの天皇像を示すものだ。丸善の80年史によれば、その原著の輸入冊数は5000冊を超え、丸善の扱った書籍の中でもベストセラーだった。そして大正天皇となる皇太子も、そうした君臨すれども統治せずの天皇像で養育された。つまり、日本の長い歴史の中でみた天皇の役割もまた、国民をいつくしみ、日本の文化を継承し発展させることだったから、大正天皇もそうした伝統的な天皇として育てられたのだ。歌作などでは才能を示したことが知られる。
だが、『大正天皇』を上梓した原武史によれば、後になって明治天皇と山県有朋など政治指導者たちから時代にそぐわない天皇だと判断された。このため大正天皇は政治の表舞台への登場が許されず、病弱との理由で宮廷内に押し込められた存在となった。
そこで明治天皇や山県、原敬などの明治の指導者からプロシャ的な指導者として育てられたのが昭和天皇だということになる。帝王学は東郷平八郎元帥が当たった。ところが、皇太子教育が目標としていたドイツ、ことにウォーレンツオレル家の帝政ドイツが第一次大戦で敗北を喫し、王室も消滅してしまった。
こうした状況の中で、皇太子教育の卒業旅行との位置づけで外遊が企画された。最早、ウォーレンツオレル家を訪ねることはできない。しかも、第一次大戦前後のウォーレンツオレル家の当主、ウィルヘルムⅡ世の言動に関しては、マックス・ウェーバーが『職業として政治』の中で、いらざるパーフォーマンスをしてドイツの外交をミスリードしたとして非難してやまないものであった。カイザー帝王学か学ぶものがなくなっていたのだ。
当然、皇太子の外遊の目的も、第一次大戦後が結果としてこの国と世界にもたらした政治改革の嵐と、ヨーロッパにおける君主制の倒壊とを巧みに乗り切った国王ジョージ五世に学ぶことに切り替えられた。そして、皇太子は、官僚たちの杞憂を杞憂に終わらせる皇室外交をやってのけた。ロンドン待ち受けて出迎え、その後を見守った吉田茂によれば、「天性の御美質」によってジョージ五世から「あたかも近親のご対面なるかのように」受け入れられたのを初め、イギリス社会の上下から「非常な歓迎」を受けたのである。
帰国し、幽閉された大正天皇に代わった裕仁摂政宮が外遊で学んだイギリスの王室は「統治すれども君臨せず」である。摂政宮はそれでよいと考えていた。
天皇制としては、イギリス式への転換準備はできていたのだ。ところが、明治憲法がそこにあり、周辺の意識も変わっていなかった。同時代の稀代のジャーナリスト、長谷川如是閑も指摘しているように、天皇の権能を利用して、ことを運ぼうという輩が多かったのである。

昭和維新の課題

日本の人口は明治の初めには3481万人であったものが、大正時代に入るころには5000万を超えた。人口の急激な増加は、徴兵制の下で平等観を植え付けられ、義務教育の普及によって教育を受けた若年人口の増大でもある。エリート層だけの英知に頼る明治憲法では、日本という国を統治できないのではないかと見るのも不思議ではない。
それに対する回答が求められていた。国内での改革要求には、兵制改革、労働組合の公認、税制改革、貴族院改革など多岐にわたっていた。だが、何といっても、大きな改革は普通選挙制度の導入だった。
大正デモクラシーの結実としての普選の導入に成功したのが、高橋是清、犬養毅、加藤高明の三人が形成した護憲三派である。第二次護憲運動と呼ばれるものである。護憲三派は、政党内閣の結成、普通選挙の実施などを選挙公約に掲げて戦い、衆議院選で勝利を収めた。選挙のさなか、裕仁殿下・良子女王の結婚式が行われた。最期の饗宴には高橋是清も招かれ、裕仁摂政宮から「高橋、選挙に勝っておめでとう」と声をかけられた。
選挙で第一党となった憲政会総裁の加藤高明に組閣の命が下され、護憲三派の内閣は、公約通りに衆議院選挙法を改正し、普通選挙を勝ち取ったのである。1924年6月のことである。ここに如是閑のいう「民意」を議会という「討議」と「決定」による支配へと導く制度が生まれたのである。
普通選挙で、「民意」がくみ取られ、その意志が政党内閣の政策を形成していくことが期待される昭和デモクラシーの幕があがったのである。昭和になって、日本の大衆が「民意」の形成に向かって動き出したことは間違いない。こうした「民意」の重要性を認識すれば、選挙制度の下で展開していく昭和史を、吉田茂のように日本史の中で全く「異質」の時代だと切って捨てる論調に異義を唱えることもできよう。日本史を専門とする坂野潤治の『昭和史の決定的瞬間』、外交史を専門とする井上寿一の『アジア主義を問い直す』『日中戦争下の日本』などもそうした試みの例だ。
 では、大衆なり、国民なりは、いかにして生まれたのか。明治維新は、それまでの士農工商の身分制を廃し天皇の臣として平等な人口を生み出した。そして、徴兵制は、導入された直後は辞退者が7、8割に達するという不人気であったが日露戦争に差しかかるころまでには完全に定着した。こうして、政府が臣民の生殺の権利をもつことになったことの反対給付として、国家のために命を失ったもののために宗教的な形で英霊を祀り、経済的補償をすることが必要に迫られた。
ところが、日本でも明治期が始まった途端に日本兵が戦闘で亡くなれば靖国神社に祭られるようになっており、上記でみたイギリスのように議会が法律を制定することによって、国民の生命を奪うことすらできる生殺与奪の絶対権利という手続きと、それに対応する英霊の祀りの形式を選ぶ機会を失っていた。
だが、昭和の時代に向かって、国民の平等意識も強化されたことも確かだ。その平等観が大正デモクラシーとなり、普選制度の確立などの成果をもたらした。だが、吉野作造の民本主義というものも、明治憲法の天皇制度を前提に工夫されたものである。議会選挙で議員を選び、その議員に自分の権利の施行を依頼するといった間接的民主主義を前提にしなかったのだ。
では、明治憲法下での平等意識はどのように発露したのだろうか。一つは、国民の一人一人が天皇と直接つながっているという感覚のシェアだ。
こうした「感覚」に応えたものが、昭和3年、1928年12月に行われた皇居前広場で行われた親閲式であった。親閲式とは、従来の観兵式のやり方を学生や教員、声援団員などが集まった場合にも適用し、天皇の前で分列式や奉迎歌斉唱、万歳などを行う儀式である。在郷軍人の表彰者を対象としたものほかにも、東京など一府四県の中学校以上の諸学校、青年訓練所などを対象とするものも行われた。
参加した7万余の若き男女のひとり、横浜高商の学生の次のような感想は、原武史によれば、皇居前広場が昭和になって新しい政治空間となったことを示していた。
「天皇陛下の概念が昔と今とではだいぶ変わっている。昔は吾々が近寄ることも拝することも出来ない雲の上の最高のお方としてであつたが、今は日本の民草と名付く者は総て貴き龍顔を拝することが出来る。我等が厳守としての聖上陛下である。私は当日目のあたり陛下の御姿や龍顔を拝する栄誉を持った。」
 ここには、確かにイメージされなかった天皇が目の前にあり、新しい政治空間の皇居前広場への天皇のお出ましに対し、国民の側から「我等が天皇」との呼応があった。そして、即位と同時に大元帥となった新天皇の時間の多くが軍のために割かれ、白馬に乗った若き天皇の姿が将校たちの印象として刻まれることになった。直接天皇とつながっている感覚の将校版である。
そして平等意識の今一つの現れが、持てる者への憎しみである。戦前の昭和は、今話題のトマ・ピケティの『21世紀の資本論』でも明らかにされているように極端な不平等社会だった。昭和の先駆として起こったのが、安田財閥の安田善次郎を殺戮した朝日平吾事件だ。この事件が新しいタイプのテロだと最初に気づいたのは、前出の吉野作造で、吉野は「平等を求める新時代の理想と古武士的精神の混血児、時代の生んだ一奇形児だと喝破した。先の大衆と天皇の接近、将校と天皇との接近は、このテロ行為とも結びついて、昭和の危機の火種となっていく。
 さて、新天皇は、皇位継承直後に、西園寺公望公爵に対して、改めてその功績をたたえ、元老として朕を輔弼せよと、その地位を再確認する勅語をだした。公家の出身ながら戊辰戦争を戦った明治の元勲のただ一人の生き残りで、天皇が積極的に政治に関与しないというイギリス的な君主という在り方を支持していた。事実上、首相指名権をもっていたため新聞記者は政局になるたびごとに興津詣でをしていた。当時、西園寺が静岡県の興津にあった別荘、坐漁荘に滞在していることが多かったからである。一方、牧野伸顕伯爵は新天皇が摂政になった直後に勅語の管理者たる内大臣になっていたが、単なる御璽の管理者に止まらず新天皇の補佐役として重要な役割を担った。しかし1935年に天皇側近に対する攻撃への配慮から辞任することになる。牧野は元勲の大久保利通の次男である。牧野の後を継ぐのが、元勲、木戸孝充の孫の侯爵の木戸幸一である。
 では、日本を取り巻く安全保障環境はいかなるものであったのだろうか。元老が支持した天皇がイギリス的な君主という在り方でよいのならば、大正天皇でことたりたはずだ。日露戦争後は、日本がキャッチアップ過程を終えた画期でもあったが、中国をめぐる列強の思惑が交錯する極めて不透明な安全保障環境となった。
アメリカはマニフェストデストネーで、ハワイを併合し、フィリピンを傘下に収めるなど太平洋の西端にまでその勢力をのばしていた。アメリカが望んだことは、アジアの門戸開放だった。そのためには、日本の台頭を望まず、アジアでの現状維持がしたいがためにロシアに力を温存させようとした。一方、ロシアの南下で自国の権益が侵されると日英同盟によって日本にロシアの南下を食い止めさせることに成功したイギリスは、ソフトパワーを用いながら権益を拡大していこうと考えるようになる。アメリカは、中国という国の実体があるという前提であり、イギリスは、そうした実体がなくとも権益が確保されればよいとの立場だった。だが、日本にとって隣国に当たる、中国では軍閥が割拠し、相戦っているという不安定な状況は、まさに脅威と感じざるを得ない状況にあった。こうした状況下で、作成されたのが「帝国国防方針」である。アメリカが将来の敵国となると記載されていた。一方、アメリカでも近々に起こるという想定ではないが、対日戦争の遂行戦略としてオレンジ作戦が策定された。
不安定な中国の北辺にある日露戦争の権益を守ろうと、軍事介入の口実をつくるために起こされた事件が、「満州某大事件」である。議会でも、政府に真相究明が要請されたが、田中義一首相は、真相を究明し、首謀者を軍法会議にかけると確約した。ところが、田中は、軍をおもんばかって、実行しなかった。これに対し、当時28歳の天皇は、宮中グループの進言を得て、前言を覆したとして田中を叱責した。
田中は退陣し、憲政会の浜口雄幸が首班についた。政権交代が行われたという意味では二大政党制は機能していたといえようが、議会も、そして天皇もまた、軍法会議にかけて、真相を明らかにし、厳重な処分を下すことができなかった。議会に事実上の主権を認めるのか、それとも天皇が、明治憲法の字面どおりに統治権をもって処理しておくべきだったのか、権力の空白を残したまま事件は終わった。この手続きを誤ったがために、内には軍記が乱れ、その後、三月事件、満洲事変、10月事件、5・15事件、2・16事件へと下剋上が蔓延していくことになる。
田中は辞職後、間もなく死亡した。悶死とも自死ともいわれる。前述の「帝国国防方針」作者であった陸軍きっての秀才の最後であった。天皇は『独白録』では、田中を叱責したのは若気の至りであったとしているが、天皇がイギリス流の「君臨すれども統治せず」の態度を貫くには憲法の規定が立ちはだかった。そして、憲法を前提に天皇がなお「ベトー」をしないよう閣僚たちに天皇の意図を感じた形で振舞わせようとすると、田中自身も、その閣僚も天皇の意図を秘密にしておけなかったのである。

アメリカ流の「法の支配」による包囲網と日本での異常なまでの危機意識

前出の吹田尚一は、日露戦争後に日米でつくったいくつかの敵を想定する中での1国をオレンジ作戦、「帝国国防方針」の中で書き留めたことが、40年後には自己実現的になってしまったのは何故かを問う。
アメリカは、日英同盟が日本のアジアにおける権益拡張を後押しすると、これを解消させるべく「法の支配」の理念外交を展開した。具体的には条約で日本を包囲するという戦略である。そして、中国が国としての実体をもっているかどうかを問わなかった。その一方、日本はゲル的状況にあって実体のない中国の一隅ごとを固めて行こうとするが泥沼に陥り、結局アメリカとの貿易に依存する経済が持続できない中で、アウタルキーとアジアの解放という方向性をとらざるを得なくなっていき、アメリカと衝突することになったのではないかと考える。
田中内閣は、1928年8月に戦争放棄に関する条約(パリ条約、ケロッグ=ブリアン条約、不戦条約)を結んでいる。東京裁判で日本を裁く際にも、この不戦条約への違反が問われたが、当時、不戦条約を議論するようになると、国内ではいろいろな議論が起こった。『昭和天皇』を上梓したハーバート・ビックスは、篠原初枝を引用して、満洲における権益や治外法権を守るのに将来武力干渉が必要になった場合、条約がそれを許す「抜け道」を用意することに力を注いだとする。
確かにその通りではあるだが、それほど単純ではなかった。篠原初枝『戦争の法から平和の法へ』によれば、条約の推進者であったアメリカ国務長官のケロッグが「自衛権の行使を主張する国は、国際世論と条約の締結国の前で自分の行為を正当だと証明しなければならない」とし、国際世論の存在が、自衛権の主張に説得力を持たせたのだとしていた。しかし、イギリスはエジプトとペルシャ湾岸地方に、フランスは既得諸条約について留保を行っていた。そしてアメリカにはモンロー主義の原則がある。日本は「人民の名において」という、条約締結主体についての議論が国内での政争ともなった。しかし、あえて蒙満権益の留保を行わなかった。多国間条約では、一国の主張が認められれば、それは締結国の主張であり、権利だからである。
これを機会に、日本の蒙満権益に関して省察が行われることとなった。だが、加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』によれば、議論は「蒙満の権利は諸外国から過去も現在も認められていない」(外務省亜細亜局長・有田八郎)から、過去は認められていたが現在は認められていない」(陸軍)、「ロシアの権益を引き継いだものとして、過去も現在も認められたもの」(外務省駐華公使・吉沢謙吉)に至るまで混乱していた。だが、この権益を守ろうとして、日本は、その後、ワシントン作成の諸条約も破棄し、国際連盟も脱退して、孤立化の道を歩むことになる。
ところが、ここに、大胆な提案をしていた人物がいた。雑誌『東洋経済新報』による石橋湛山である。『東洋経済新報』は、イギリスの『エコノミスト』などを模範に創刊され、イギリス流の自由主義・合理主義・経験主義をもって論じた。すなわち、『東洋経済新報』では、三浦銕太郎主幹のもと大日本主義の「軍国主義、専制主義、国家主義」に対し、イギリスの自由党の小英国主義にならった「小日本主義」を掲げ、「産業主義、自由主義、個人主義」を標榜していた。
社説を書く記者の中では最年少の石橋湛山は、その匿名性のため名を広く知られることはなかったが、実際の事件、事象に対応し、湛山の描く小日本主義の像はだんだんと明確になっていく。彼が唱えたのは、植民地、満洲での権益を放棄し、貿易で国を立てる小日本主義である。明治政府の勝ち取った蒙満での権益が日本の生命線と考えられ、これをどう守り抜き、恐慌から経済を救うというのが大方の見方であった。これに対し湛山は、中国のナショナリズムを正しく評価し、ナショナリズムの高揚しているアジアで生きていくには、日本の従来からの権益を放棄する小日本主義で行く以外にないと考えていたのだ。
アジアでは、現実のプレゼンスが少なかったアメリカの門戸開放政策に呼応しながら、ワシントン作成の諸条約の枠内でも生きる道もあったのではなかろうか。なぜ日本では、「帝国国防方針」のような重要な政策を軍人にだけさせ、もっと視野を広げ、議論をしながら幅広の政策をつくっていくことができなかったのであろうか。
如是閑の主張するプロシャ型のもつ明治憲法の持つ欠陥については、天皇の名においてことをなせば何でもできてしまうと、明治憲法下での統治機構には欠陥があることはすでに斎藤隆夫が1918年の自著、『憲法及び政治論集』の中で指摘していた。天皇に与えられた統帥権であり、統治大権である。
だが、多くが統帥権こそが問題であったとの指摘をしている。統帥権とは、軍の展開に関して天皇が参謀総長、軍令部長の助言である、補翼を得て、決定するというものである。補翼は、一般国事について首相、国務相が天皇に助言をする輔弼の枠外とされた。つまり、シビリアン・コントロールが貫かれていないのである。
1926年に誕生した田中内閣以来、浜口内閣、そして犬養内閣と政友会と立憲民政党の二大政党が交互に首班に就き、この手続きは憲政の常道といわれてきた。ところが明治憲法の桎梏のため昭和初期の議会政治は選挙結果と首班の指名が連動していない。首班指名は元老の助言を得て天皇がしていたからである。このいずれの場合も、首班指名は前の多数与党が行き詰まり少数野党の党首に首相の大命が下る形で行われる運命にある。すると少数与党が多数を得るために解散、総選挙をするというパタンが必然になる。ところが、お互いがお互いをたたきあい、いい点はまねるために政党対立軸が不明化する一方、二大政党から人材が払底し、このルールが適用することが困難になったのである。西園寺が次期首相として奏請したのが海軍大将の斎藤実なのである。
こうして生まれたのが、官僚出身者を中心として二大政党の代表を加えた斎藤を首班とする挙国一致内閣である。これをどう評価するのか。
欧州でもイタリアのムッソリーニ政権に続いて32年7月には、ナチス政権が誕生し、スペインでも民主革命に対して帝政派の反革命が起こって各国から義勇軍が馳せ参じていた。ヘミングウエイの小説『誰がために鐘が鳴る』の舞台である。ヨーロッパ全体が騒然とし始めていた。国際主義の楽観論が消え、ナショナリズムにゆれるヨーロッパを視察して帰った尾崎行雄(咢堂)が、遺言のつもりで書いたのが「墓標の代わりに」であった。憲政の神とたてまつられていた尾崎の目にも、満洲事変、そして5・15事件後の日本は憂慮に耐えざる存在と映ったのである。京都大学の末川博が「自由主義の没落と法治主義の危機」で、政治評論家の佐々弘雄が、「政党政治の崩壊過程」で、これをフォローし、ともに政党時代の終わりを嘆いた。以後政党内閣は、戦後に至るまで復活することはなかったという意味では、これらのコメントは正鵠を射ていた。
憲法学者、美濃部達吉は『議会政治の検討』の中で「議会に基礎を有する内閣といえば、今の議会においては言うまでもなく政友会内閣でなければならぬ。しかし政友会内閣が果たして国難打開の責任に堪うるものとして国民の信頼を博しうるやといえば、それはきわめて疑わしい」としていた。そして「円卓巨頭会議」を提唱し、天皇機関説を唱えた。天皇機関説とは、主権は国家にあり、天皇は主権国家の下にある諸機関の中の最高機関として機能しているというものである。美濃部天皇機関説は、よくても議会軽視、究極のところでは議会無視である。
美濃部のいう内閣中心主義とは、一言でいえば、明治憲法にあっても内閣首相の権限は強いと解釈したものだ。すなわち、各個別の国務大臣が直接輔弼責任を負うものの他に、内閣の共同で責任を負わなくてはならない問題があり、明治憲法はそれを認める体系になっているというのである。統帥権に関しても、作戦や軍隊の指揮ということは憲法⒒条によって独立しているが、憲法12条の軍隊の編成、予算といった分野は内閣で負わなくてはならない分野と見なした。逆にいえば、美濃部説では軍に対して内閣の権限が、大きいことを意味する。
また、統制派が政権、内調と手を結んで、着実に改革を進めていく道を選ぶとすれば、クーデターによって一挙に実権を握ろうという皇道派にとっては自分たちが陸軍の組織の中で浮き上がり、排除されかねないことであった。こうした陸軍の内部事情を考え、政友会と陸軍皇道派が急接近したのは弱者連合としてである。政友会は、「機関説排撃、責任政治の確立」という新方針を打ち出した。美濃部攻撃が民政党の政友会締め出しという事態打開の突破口になるとみたのである。確かに、美濃部の円卓巨頭会議も、そして内閣調査局、内閣審議会も議会を無視しており、責任政治の確立には大義名分が立つ。
貴族院で天皇機関説を国体に背く学説とし、緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆になると、美濃部を「学匪」「謀叛人」と非難したのが貴族院議員の菊池武夫である。菊池は陸軍中将から男爵になった右翼で、質問は蓑田胸喜ら原理日本社を背景にしていた。衆議院では全員一致で国体明徴決議案が満場一致で可決され、陸軍作成の機関説排撃のパンフレット、15万部の配布が決められた。軍部は国体明徴論によって、美濃部達吉や吉野作造が唱えたような天皇の権限を縮小して国民主権に近づけようという主張も持つ天皇機関説に断固反対した。
天皇が「憲法は天皇機関説でできている。美濃部についても不忠な臣とは思っていない」と、鈴木侍従長に漏らしていた。だが、それが軍に伝えられたり、政府の方針決定に反映させるということはなかった。
こうした中で、青年将校たちが天皇親政を求めるクーデター、2・16事件が起こされた。先に指摘した天皇と直接のつながりをもつ感情と農村の窮状を救うという意図とが、こうした形をとってしまったのである。その行動を支えてものが、北一輝の『国家改造案原理大綱』であったとされる。事件の後に行われた軍事法廷でも、直接の参加者でなかった北に死刑の判決が下された。
北は、『支那革命外史』の著書もあり、もともとアジア・モンロー主義者として知られた存在だった。辛亥革命が起こると、直ちに中国に渡り、かねてから知っていた宋教仁などを支援するような行動派であり、自らも革命家でもあった。彼の所論は、日本は中国の独立を助け、その独立した中国と連携して、中国はロシアを、日本はイギリスをアジアから駆逐し、インドを独立させるなどアジアをアジア人の手のうちに置くべきだ、というものだ。
しかし、その後の日本政府の政策は中国との連携を探るというよりも、欧米列強との協調の中で中国を侵略するというものであった。そして、五・四運動がはっきりと日本を標的にしていることが分かると北の危機感は極度に達した。中国政策を変えるのは、日本国内を変える以外にないとの思いで、着手したのが『国家改造案原理大綱』なのである。
北は天皇大権によりまず憲法を停止し、国家改造をせよと主張する。国家総動員の帰結として産業力を一歩、一歩付けて行こうと考えた永田に対し、こちらは革命である。天皇は憲法を停止し、財産を国に返還したあとは、普通選挙で選ばれた国民改造会議と選ばれた政府に具体的な改造策の策定、実行を移すことになる。天皇制のもとで、なおかつ民意を追求していくとすれば、北にとって、その両者を統合するには天皇を傀儡とする以外に考えられなかったのである。
その後、どうするのか。北の考えでは、資本主義経済は存続するが、徹底した平等主義をこれに盛り込む。新聞紙条例など政府が個人を規制する法律は全廃され、個人の自由、人権を蹂躙するようなことを役人がすれば実刑で処罰されるというものだ。内に向かって唱えたものは、右翼思想というよりも社会主義、ラディカルな民主主義ともいえる。
北の構想は、雄大で、革命的だ。だが、強い危機意識は、宗教と結びつかずにいなかった。それはアメリカでも、南北戦争の時、イラク戦争の時、原理主義が生まれたことからも窺える。戦前期昭和でも、極端な危機意識が神がかりを生んだのだ。合理的な考え方である天皇機関説が否定されると、天皇そのものが国体であるという明治憲法のアポリアが露呈したといってもよいだろう。政治、社会、教育などすべてが「国体の本義」に則って再構築されなくてはならないことになった。天皇が機関説でよいではないかというのに美濃部への攻撃が公然とおこなわれたことでも分かるように「天壌無窮の神勅」の皇国日本が一人歩きし始めたのである。
国体とは、明治の日本が近代をとりこむ日本にふさわしいものとするため便宜的に設けたという性格のものだった。つまり明治憲法では、「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を定めているが、これは、信教の自由を確保し、キリスト教を信仰することの自由を認めるため、神道を皇室と結び付ける一方、キリスト教によって国内統一をしてきた西欧にならって神道によって国家統一をするというところに狙いがあった。ところが、昭和という国防時代を迎え、国体、国体の再構築ということが叫ばれるようになると、明治時代にはあまり重視されなかった皇室祭祀が公式行事となり頻繁に行われるようになった一方、伊勢神宮を頂点とする神社が社格をつけられたピラミッド組織となり、国民にも神社の前では礼拝をしながら進行しなければならないといった強制が行われ、神道の制度化が進んだ。先に明治国家構築に当たっての設計ミスが、天皇の神聖化によって増幅したのである。「国体」の鋳直しによって、神道ナショナリズムの様相を呈してきた。
では、実際の政策決定はどのようになされたのか。近衛内閣の開戦準備の「帝国国策遂行要領」の閣議決定の際には、御前会議で天皇が「外交を主に、それが不可能な時には戦争も辞さないというのだな」と、念を押した。事実上の差し戻しである。自己の判断を明確に示した、明治憲法上の天皇の行為になろう。このため、開戦の最終決定は行われなかった。そして、それをしなければ命にもかかわると天皇自身が感じる中で開戦が決まる。そして、終戦の決定でも、天皇がイニシアティブをとった。
憲法学者の佐々木惣一が、『わが国憲法の独自性』を上梓し、国体、統治にかんしても憲法制定当時の精神、解釈に戻せと提言したのは、まさに戦時中の1943年のことだ。佐々木によれば、抽象的な概念としての「国家」と各国固有の原理としての「実質」と区別しなければならず、この「実質」の担い手が「統治」だというのである。明治憲法の起草者、伊藤博文の注釈書『憲法義解』によれば、「統治」の語が採用される以前のものは記紀にあらわれる「治(シラ)ス」であった。だが、漢語に統一するため「統治」になった経緯がある。「シラス」とは「知る」の尊敬表現であり、理性の働きを意味する概念だ。そこで佐々木は「統治」とは、国家と国民各自を正しい状態にあらしめるための準拠、つまり公権力を拘束する規範(暴力の排除)であると同時に、国民の行為の指針(理性原理)として定義されるとした。
明治憲法のもとで明治の元老が目配りできた時代には、理性が働き、政治的統合があったと見た清沢の見方などにも通じるものである。佐々木は京都大学の滝川事件に抗議して辞職し、同志社大学に転じ、当時は学長であった。美濃部の天皇機関説では、これを支持する立場であった。記紀の再評価という面があるとしても、言論統制の時代によくぞここまで踏み込んだものである。佐々木は戦後に新憲法の起草者の一人となる。

新憲法:欽定から民定へという主権の変動

戦前期に天皇機関説を唱え、憲法論議の先端を行っていたと自負していた美濃部達吉は立憲君主制と立憲民主制とは同じ立憲のカテゴリーにあり帝国憲法そのままで戦後体制へ移行可能だと主張した。斎藤の天皇観も古色蒼然としたものであり、安倍能成も教育勅語は残すべきだと主張した。
当然、GHQはそうした議論に耳を貸さなかった。憲法を誰がつくるかという視点からすれば、欽定から民定へという主権の変動を見せる必要があったからだ。憲法が国家による不当な諸権利の制限から国民を保護するものであるとする「法の支配」の理論からすれば、国家が憲法制定能力をもつことは、泥棒に自らの縄をなわせる行為と同じことになるという自己矛盾も生じる。だが、現実の流れとしては枢密院顧問の諮詢および帝国憲法大73条による帝国議会の決議で大日本帝国憲法を改正する形で日本国憲法が生まれたのだ。
憲法制定権における主権の変動とは、革命に外ならない。主権が変わるためには、日本の場合、敗戦とGHQという圧力が必要であった。岩波の『世界』が美濃部などオールドリベラリストの顔ぶれをさっさと丸山真男、都留重人などの革新派リベラリストに入れ替えたが、加藤典洋は、これを宮廷革命にたとえた。
だが、本物の宮廷革命も起こっていたのだ。昭和天皇は、「人間宣言」の冒頭で五箇条の御誓文を引用することによって、今日本が行っている民主化は占領軍の意思で行っているものではなく、明治維新からの流れの中での自分たちの手で進められている改革だという意識を鼓舞した。そして、オールドリベラリストでも、戦前に岡田内閣の法制局長官であった金森徳次郎には、出番があった。吉田内閣の新憲法制定担当になり、国体を「天皇を憧れの中心として、心の繋がりを持って統合している国家」であると答弁し、無事、新憲法を成立させたからだ。法制局長官当時、貴族院で美濃部達吉博士を非難して総理に悪意の質問をする者に対し、「学問のことは政治の舞台で論じないのがよい」といった趣旨の答弁をして辞任に追い込まれ、浪人生活をしていたことが勲章になったのだ。吉田も、戦前に陸軍の反対で首相になれず、その代わりに首相なった広田弘毅が東京裁判で文人として唯一人死刑になったことと明暗を分けた。
湛山は、1943年8月にイタリア・ファッシズムの崩壊を見ると日本の敗戦を確信し、戦後経済の研究、講演を始めた。そして、44年8月には国際連合設立を目指したダンバートン・オークス会議が始まったとの報に接すると、日本においても戦後経済の検討が必要と公然と呼びかけた。労農派教授グループの大内兵衛、有沢広巳、脇村義太郎の無罪釈放の祝賀会を主催し、ここでも戦後経済を議論する場とした。10月には時の蔵相、石渡荘太郎を説いて、省内に「戦時経済特別調査室」を設けさせ、敗戦後の経済復興の問題の研究を開始した。敗戦が決定的になって、石橋の所論が政府に認められることになったのである。
そして、このことが戦後直後に石橋が議員当選を果たし、蔵相として人気が出たところでの公職追放の口実になった。アメリカは、明らかに、ロシアを自陣営にカウントして行動してきた間違いに気づき、冷戦に入ったのだ。そして、ロシアに支援され蒋介石の国民党政府を打ちました中国を認めようとしなかった。この点では、戦前の日本の見方が正しかった。そして、隣国との関係改善を望む石橋が現実を見据えていた。この石橋のアジア、ことに中華人民共和国との国交回復に対する思い入れをGHQは問題視した。GHQは吉田茂首相の存続の方が便利と見て、湛山を追放したのだとの見方が有力なゆえんである。ただし、アメリカの市場開放、GATTによる世界自由貿易体制が整い、日本の貿易立国を可能になり、湛山の唱えた小日本主義は吉田内閣のもとで復活した。産業主義を引き継いだのは有澤広巳であり、貿易主義を引き継いだのは、中山伊知郎であった。
だが、GHQが断行した政治経済改革は石橋の構想を上回る広範なものだった。華族制度の廃止と直接民主主義の徹底、象徴天皇への転換、財閥解体、農地解放などである。これらの政策は、むしろ先に触れた国民の代表である天皇と象徴天皇の一致にとどまらず、驚くほど北一輝の『日本改造法案大綱』に似通っている。また財閥解体があり、農地解放では、持てる者から持たざる者への財産移転という点で、その平等政策は徹底していた。ことに農地解放の徹底振りには、自由主義者、石橋湛山も小農を作りすぎないかと反対を表明したほどだ。
確かに、法の前の平等は、アメリカによって与えられたものだ。だが、平等意識の変化を考える時は、農地解放、労働三法の制定なども、単にそれだけのものとしてとらえるのではなく、あらゆるものが破壊された中で起こった負戦後のインフレーションの中で全員がたけのこ生活を送ったという原体験と重ね合わせて理解すべきだと、筆者は、学生時代に応募した懸賞論文の中で、書いたことがある。ピケティの指摘した戦前昭和の不平等がなくなっていたのだ。
北の政策とこれほどの一致があることは、GHQが北一輝を参照したことはほぼ間違いないだろう。ファシストとされる北とアメリカのニューディラーの生き残りたちとは共鳴するところがあったことになろう。また北自身もラディカル民主主義の実現に手段を選ばぬといったところが見られたが、生前にこのような形で自分の考え、夢が実現するとは考えていなかっただろう。だが、北によって戦前と戦後はフラットになっているのである。
とはいえ、ファシストとされる北が平和憲法につながっていくという見方に嫌悪を示す向きもあろう。
新憲法が平和憲法だという向きは、第2章の第9条の、戦争、武力の行使の放棄であり、軍備をもたないという宣言であろう。
だが、アメリカ流の「法の支配」では、条約が少しばかり高い位置から国内法をしばっているとの見なしているのだ。つまり、アメリカなどの国家の連合が日本を打ち負かし、民主主義、自由などの価値を共有する中で、日米安全保障条約、国連などが日本の安全保障をカバーしているから、あらゆるものが破壊された日本が時分で軍備など持つ必要はないとの意味をもつのだ。つまり、日本国憲法と日米安保条約とはセットになっているのだ。日本国憲法は、9条で戦争を放棄しているので、日本の安全保障は国連の枠組みの中で保障されなくてはならないことになる。それが、国連憲章52条の集団自衛権で、日米安全保障条約は、アメリカ側からみれば、52条の枠組みで日本との間で集団自衛権を行使していることになろう。
グローバル化時代の憲法解釈として、憲法92条2項の「日本が締結した条約及び国際法規は、これを確実に遵守すべきことを必要とする」という条文のもつ意味が、非常に「重要である」、あるいは「重要になってきた」、ように思われる。グローバル化した世界をガバナンスをつかさどっているものはなんだろうと考えをめぐらすとき、誰しもの頭に国連憲章、国連、国連機関といったことが浮かぶ。国連は、必要ならば国の同意がなくとも、制裁を課すこともできる。国連機関の中には、ILOのように各国に法を求めている、あるいは立法をしているような機関もある。
ところが、憲法前文にも「自国のことにのみ専念して他国のことを無視してはならない」と謳われているにもかかわらず、これまでのところ日本は、国内志向で、条約は、憲法と国内個別法のかぎりなく国内法に近い中間と位置づけられてきた。これは、憲法9条に関しての内閣法制局の解釈においても、同様であった。
こうした偏った解釈を繰り返して行っては、いつか行き詰ると考えていたのが亡くなった宮沢喜一だ。つまり、憲法9条に関しても、国連の集団自衛権から説き起こして説明することを始めなくてはならないと、2001年のサンフランシスコ条約50周年記念講演で主張していた。日米安保条約は、すでに日本はアメリカとの間で集団自衛権を行使し、国連憲章52条の集団自衛権の枠組みの中で行動してきたのだが、日本が戦争を放棄しているので、日本からの支援は得られない、片務契約ということになる。その代わりが基地の提供ということになる。
宮沢は、講和条約が終わっても、アメリカ軍がいつまでも占領軍のような顔をして基地を使っているのはおかしいという意味の発言をしてきた。日米対等というならば、基地を減らせ、その分、日本も応分の安全保障上の負担を増やすという姿勢へと変わらなくてはならないことになる。
客観的情勢の変化として、日本経済の実力は、世界第3の経済大国となり、円が1ドル、360円に固定されていた時代から、100円の時代へと変わってきている。覇権国、アメリカの凋落の問題も、そしてユーラシア大陸の西ではウクライナ問題が、東では中国台頭の中で南シナ海、東シナ海問題があり、また日本を取り巻く安保環境が変わってきていることも、今日、憲法と日米安保のセットを見直さなくてはならない大きな圧力でもある。
その意味では、集団自衛権問題が取り上げられるのも、そして戦前昭和とは、時とアクターを変えて、中国に向かって「法の支配」を説くのも、時代的な意義がある。
だが、過去の憲法解釈が偏ったものであったにせよ、その解釈もまた「法の支配」の一部であったとすれば、その連続性を超えた「解釈」は、法の支配の原則を自ら破るものだ。また、民主主義が定着してきたといわれながら、選挙における1票格差が最高裁から憲法違反だと判決されながら放置していることは、まさに三権分立を無視する行為であり、「法の支配」にもとるものだ。外に向かって「法の支配」をいうには、自らの「法の支配」の質を高めなくてはならない。
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2014年07月28日

2014年8月号  医療ビッグデータを活用しよう! 血圧測定データ活用から切り込む医療健康での成長政策 - 高橋琢磨

『要旨』
アベノミクスの混合医療へのステップは、将来ビジョンを十分踏まえていない。むしろこれまでの医療制度への信頼を崩壊させるおそれのあるものだ。今取り組むべきは、社会的医療コストを低減させるための施策でなければならない。筆者が提言するのは、半ば強制による血圧測定データ活用から切り込む医療健康での成長政策である。それは、最近の医療イノベーションは東日本大震災の経験の中で生まれていることから学ぶことのだ。

『キーワード』
医療制度への信頼、先端医療、ヒューマンエンハンスメント、医療ビッグデータ、白衣高血圧、家庭血圧

いわゆるアベノミクスの経済成長政策に取り上げられた医療健康促進分野での「目玉」は、新聞報道等の取り上げ方をみても、混合医療の推進であり、日本版NIHの本格的運用であるとされる。日本では文部科学、厚生労働、経済産業などの各省にばらばらになっているバイオ医療分野での基礎研究の司令塔、日本版NIHをつくれという旗は、筆者も長年振ってきたという経緯もある 。基礎研究への投資をむだな重複、見落としをしないで効率的、効果的な進め方をすることは非常に重要である。
だが、今とりあげるべきは、医療ビッグデータを利用して経済成長策を練り上げていくことではなかろうか。

バイオメディカル革命の期待と現実

バイオ基礎研究の拡充も重要だが、次のような現実もある。
医療へインプットは費用と投資ということになろうが、イギリスでは、すべてを費用とみなすのに対して、アメリカではあたかもすべてが投資であるかにみてその成果(幾何級数的コストダウン)に期待する。アングロサクソン文化は、これを徹底して考えることに特徴がある。どちらの見方も要素を徹底するという点では同じだが、イギリスではインプットである分母(費用)の方を下げ、いってみれば医療制度をコストセンターの方向で徹底しているのに対し、アメリカでは医療を科学投資の対象と見て、効果的なインプット(分母)によって先端医療を開き、幾何級数的コストダウン(分子)をねらうことに重点を置き、いわばR&Dセンターに徹してきたことであろう。日本はこの中間で、分母と分子のバランスを取りながらコストを削減しながらある程度の先端医療を開拓していくというもので限られた資源の下で効率を志向したものだ。
では、分母へ挑戦し続けてきたアメリカはどうなったのか。クリントン政権時代の医療皆保険法案を巡っての議論で、当時のメルクの会長が「良い薬ができることで、人々を病院、手術室、ナーシングホームに入れずに済み、コスト節約になる」と新聞見開きの広告を載せたことに象徴されよう 。当時沸騰した議論をさばいて、『サイエンス』も薬品価格抑制策は、アメリカのバイオベンチャーを窒息させ、創薬のペースを落とし、医薬におけるアメリカのリードを危うくしかねないものだ」と糾弾したものである 。冷戦後の配当をバイオメディカル革命から得るべきだというのだ。
確かにアメリカでは、ゲノム科学の発達で高度医療の発達や医療機器の進歩では世界一だ。たとえば、UCLAで内科の教授をつとめたことのある政策研究院大学の黒川清教授も紹介しているように、アメリカの病院では指名、紹介などによって最高の医療サービスが受けられる一方、選ばれた医者も歩合給で報酬を受け取り強いインセンティブシステムで運営されている 。トップクオリティの病院、たとえばマウントサイナイ病院で、脳外科手術を受ければ、脳外科手術の専門家はもちろん視神経や言語中枢神経を傷めないよう10名近い各種専門医が立会い、ベテラン看護師などの補助を受けながら細心の注意を払いながら施術が行われる 。だが、それに伴なう医療費の高騰に悩まされ、民間医療保険とその受給者が必至に対応を迫れているという構図になっている。つまり、医療保険と株式会社組織を含む医療機関相互の競争など市場原理をもってしても制御できていない恨みがあるのだ 。つまり、その先端医療が幾何級数的コストダウンかといえば、結果はまさに逆で、コスト増加をもたらした。
ところが、メディケイド、メディケアの拡大でアメリカ社会でも医療がユニバーサルサービスとすることが事実上進んで政府支出が拡大した。このことによって、一人当たりの政府支出額は国際比較上決して小さくなくない。にもかかわらず、政府の負担は47%にとどまっていて、他の先進国に比較しカバー範囲が狭いのだ。それだけアメリカの医療コストが他の先進国とくらべ高いことがわかる。
では、実際のところ高度医療の登場によって医療費はどの程度高騰しているのであろうか。スミス、ニューハウス、フリーランドによる共同研究は、保険の支払い能力に合わせてコスト削減の進んだ定形型サービスの数量増がある一方、一部の支払い能力のある層に支えられ創薬の価格上昇、高度な医療の提供が行われているというのが実態で、高度医療のコスト上昇が1960年からの医療費増加を引き起こしている部分は、従来考えられていたよりも少ない27~48%にとどまるとの分析を示している 。
バイオメディカル革命は起こったのか。冷戦後の配当はあったのか。学界も、コンサルタントたちも、盛んに、そうした囃し方をしてきたが、そうした証拠はない。治療の生産性があがったとか、質が向上したその程度はとうてい革命とよべるようなものではなく、政策立案者たちは、学界やコンサルタントたちのいうことを鵜呑みにすべきではないというのがマイケル・ホプキンスたちである 。ゲーリー・ピサノもまたバイオの30年は期待から期待へという連続に終わった30年だったとの見方を示す 。
その期待を抱ける新対象が、山中伸弥教授のiPS細胞(人工多能性幹細胞)であろう。今iPS細胞が期待されていることに疑問の余地はない。理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの高橋政代氏がiPS細胞を使って作る網膜色素上皮細胞を失明の原因として3番目に多い「加齢黄斑変性」の患者の治療に適用する臨床研究推進のために、関西圏国家戦略特区としてiPS細胞による世界初の臨床研究拠点、神戸アイセンターが設立される。京都大学付属病院も、未承認薬でも治療に使えるという特区の特権を用い、iPS細胞を使った再生医療を進める。STAP細胞騒ぎで、理研も、Nature も傷ついたが、Natureが、高橋リーダーを「2014年に注目すべき5人」の1人に選んだ勢いを押し立てていくべきだろう。
一方、混合医療は、医師会等が反対してきたからという意味で、岩盤規制を突破した措置とハイライトされているが、成長政策とは今のところほとんど関係が少ない施策だ。報道から見る限り、欧米では承認された先端治療を日本での承認を待たずに使用できるようにするといったところに重点があり、日本の基礎研究のレベルをあげるという視点の少ない施策だからである。そうした日本での未承認、つまり承認ラグ下の創薬の多くは癌の治療薬である。癌の発生、症状には、これまで知られているだけでも250以上の種類があり、癌一般の基礎研究が不可能であり、先のピサノも指摘しているように、実に多くの治療法が提言されている。そしてFDAでの創薬承認で近年になり数が増加してきているのも、そうした複雑なものの一部への対応策として創薬されているためだ。
こうした個別医療を目指した動きを自己負担で行うという先鞭をつけるという意味では、それなりの意義があろう。バイオメディカルがもたらしたことの一つは前にも触れたようにコスト上昇であり、保険カバーの高かったヨーロッパの国でもすでに日本では保険カバーされている抗体医薬も国の保険外とするところもでてきている。いずれ日本でも、そうした方向をとらざるを得ないので、その足場になるという評価である。だが、コストと先端医療への挑戦といる微妙なバランスの上に立った制度は、その安全、公正などの理念ゆえに、国民の信頼を獲得してきたものだ。その制度のもつメリットを安易に混合医療導入という形で壊すリスクを今はとらない方がよいのではないか 。

行き詰まるレセプト分析でのコスト削減

課題先進国の日本では他国に増すスピードで高齢化が進み、すでに他国に増して国家財政の国債依存度、GDP比国債残存額が高い。高齢化が進む日本で、膨らみ続ける医療費をどう抑えるのかは、喫緊の課題なのだ。なぜなら政府の推計では、日本の75歳以上の人口は、2015年の1,646万人(全体の13%)から、30年には2,278万人(同20%)に増え、それに伴って12年度には35.1兆円の医療費も、「団塊の世代」が70代後半となる25年度には54兆円に膨らむとされる。個人や企業が負担する社会保険料などを除いて、税金投入分をとると、15兆円から25兆円超に増える。つまり毎年1兆円の財政負担増加が続くことになり、たとえ15年10月に消費税率を10%に引き上げても、増税分では社会保障費を賄いきれないのだ。年金や介護を含む社会保障費全体では、11年度の109.5兆円が、25年度には148.9兆円に増える計算で、さらに財政破綻への道へのわだちが軋む。
 政府は、財政破綻を避けようと、これまで、国および都道府県等が協力し、生活習慣病対策や長期入院の是正など計画的な医療費適正化に取り組むとして、さまざまな手法をもちいて医療費の伸びを抑えようとしてきた。そして、居住系介護施設が不足し、このままでは現行システムが破綻しそうな中で、たとえば異色の経歴をもち医療法人鉄祐会を率いる武藤真祐氏が石巻市に在宅医療診療所を開設し、震災で被災した患者を看る中で開発した、クラウドなど最新のICTを駆使し、効率的な在宅医療、そしてその延長での在宅介護のビジネスモデル、システムといったものを、高齢化が進む首都圏では広域単位での連携が求められなど、地域によって修正が必要であろうが、他地域に応用していこうとしている。脳卒中対策などの事業ごとに、急性期から回復期、療養、介護等に関係する各機関による具体的な連携体制の形成によって切れ目のない適切な医療の提供も謳っている。
こうした施策は、たとえ武藤医師の開発したモデルがイノべーティブであったとしても、いずれも冒頭で述べたR&Dとコストの間でバランスをとってきたという日本の医療政策の伝統の中にあったものだ。電子化された医療情報の「ビッグデータ」を解析して診療のムダをあぶり出して、過剰診療、過剰受診をなくすよう地方自治体に圧力をかけたり、薬価改定で定期的な引下げを図ったりする施策もその一つだ。
レセプトに記された病気の名称や通院の回数、処方した薬の種類や量など膨大なデータをコンピューターで解析し医療費の節約をしている自治体に、広島県の呉市がある。呉市は、全国でも最初に、こうした取組みを展開した自治体として知られる。08年以来、毎月9万枚のレセプトを解析し、保険年金課の看護師を過剰受診と思われる患者説得をする独自の取り組み、たとえば、同じ病院に何度も通ったり、薬をもらいすぎていたりする患者を割り出し、その患者を説得し医療費の節約へと導くのだ。直近の11年度にも約1.5億円の医療費節減を果たしている。
政策の基本方針となる「骨太の方針」原案では、「聖域なき見直しが必要」として、都道府県ごとの医療費の数値目標を掲げ、「呉方式」を全国に広げて医療費のビッグデータの活用を促そうとしている。そこで、政令市の中で最も市債への依存度の高い千葉市は、こうしたプレッシャーをうけて、東京大学の須藤修教授の研究グループと協力して、市民の診療明細や市民税などに関する膨大な電子データ、いわゆるビッグデータを分析し、今後の医療費の削減や財政の健全化の方策を探ることになった。
「骨太の方針」での数値目標は、75歳以上1人あたりの医療費で抑え込むという形もあり得る。厚生労働省の調べ(2011年度)では、最も多い115万円の福岡県と最も少ない73万円の岩手県では1.6倍の開きだ。医療実態の精査も必要だろうが、大いに改善の余地がありそうだ。入院日数でも、現在すでに全国平均の36日を最短の長野県の27日と比較し、15年には格差半分へ、つまり平均で4.5日短縮という数値目標を掲げて各自治体へ圧力をかけている。自治体によって人口構成が異なるという声には、まずは75歳以上という群が対象になろう。75歳以上の平均入院日数に関しては、山形大医学部が今年3月、県内の主要13病院医療データ解析から得た「13.5日」から「40.5日」まで3倍の開きという報告がある。手術費や入院患者1人あたりの病院の収入でも大きな差が見られた。ここにレセプトのデータ解析を通じて、コスト削減のための施策を適用していくのだ。
こうした取組みを、都道府県国民健康保険団体連合会や保険者に対してレセプトや特定健診などデータ分析によって、コスト削減にとどまらず、さらに高度に適用することで効率的に事業を行なうよう仕向けるのが、データヘルス計画だ。厚生労働省は、13年6月の閣議決定に基づき、データヘルス計画のモデルを2015年度中に作成することを計画する一方、すべての健康保険組合に対してこのモデルを参考にして、データヘルス計画の作成と実施を求めている。第1期の実施期間を2016~18年度と定め、19年度以降は5年サイクルで実施する計画である。
こうした国の動きに促される形で、民間からも、例えば日立健康保険組合と日立製作所が14年3月に、約11万人分の特定健診やレセプトの情報を活用して、集団における生活習慣病の発症率と医療費総額を平均誤差5%で予測するモデルを開発するなどの動きもある。だが、ヨーロッパでは、単なる分子重視対分母重視の議論から抜け出て、まず、分母側を見る際に、単純なコスト抑制という立場ではなく、治療結果(=分子側)と合わせた形で、最も望ましい治療が行われるような「メカニズム」を取り入れる「患者にとっての価値」ベースの医療サービス(VBHC)が始まっているが、多くの医師や患者が最新の研究成果の恩恵なしに、日々の診断を行ない、治療を受けている現実がある。つまり、日本でも次に呼べるように医療標準化への取り組みが進められ、どの治療法がどんなときに最も効果的であるかをしっかりと把握し、その最も良いと判断された治療法をどんどん現場で使っていくよう奨励されてはいるが、日本では、大学の医療教育があまりにもローカル化している現実を追認しているためだ。
医療の標準化で期待されるのは、まだ外交レベルでの合意ができただけで現場での進展がないが、アメリカとEUとの協調だ。というのは、こうした二つの基準に立ちながら、「どのような治療がなされたか」「その治療結果はどうだったか」というデータの組織的に収集して、それを活用してきたのはスウェーデンである。同国では1970年代から、さまざまな疾病に関して「レジストリー(Registry)」と呼ばれるデータ収集が始まっており、うち22レジストリーでは全国の患者数の85%以上を網羅できるようになっている。
レジストリー利用の効果をいうのに登場する例が小児の急性リンパ性白血病だ。このケースでは、レジストリーのデータ収集が始まるまで、この病気と診断された患者の5年生存率は、12%に過ぎなかったが、その後、他の病院、医師の治療方法とその結果を、医師間で共有するようになったことで、データ収集開始後10年間で、生存率は47%に上がった。スウェーデン国内での標準的治療方法が確立されてからの生存率は、87~89%だ。
見習うべきは、スウェーデンのベストプラクティスが現在からみればビッグデータの活用から生まれたということだ。国際比較から制度改善に取り組まなくてはならない医療技術における標準化、その普及を図っていくためには、医療技術の簡素化も欠かせない。
だが、医療行為は医者と患者の同意で行われている。診療や投薬が本当に正しいのかは医者の判断に委ねざるを得ない側面もある。つまり、「必要な治療」と「ムダな治療」の間で線を引くことは難しいのだ。
それでも、アメリカで、医療サービスへのアクセスや内容を管理し、制限することで、医療コストを抑えながらある程度の品質を保ったサービスが提供できるようする工夫であるHMOが盛行しているように、レセプトのデータ解析は費用が妥当かを具体的に検証する出発点であることには間違いない。
また骨太方針では市場価格に合わせた薬価の公定価格の引き下げなども謳っている。だが、薬価の頻繁な改定は取引コストを引き上げるという側面もあり、創薬メーカーからの反発もある。そして、R&Dモデルにもマイナスだ。小泉政権は社会保障費を毎年2,200億円抑制する目標を掲げ、医療の公定価格である「診療報酬」の切り下げにも踏み切った。だが、医師会の反対が起こったり、各地で医師不足が深刻化したりしたことなどを受け、結局、目標は撤回された。レセプト分析でのコスト削減策には限界もあり、行き詰まることになろう。それを解決するのは、エビデンス診療だということになろう。

血圧測定で「団塊の世代」の健康な老いを看守る

経済成長政策としての医療・健康分野での最大の課題は、「団塊の世代」をして、できれば活発に社会参加をしてもらいながらいかに健康で70代後半を迎えさせ、やがてぽっくりと亡くなってもらうかを構想することではなかろうか。
東京大学の高齢社会総合研究機構の執行委員を務める秋山弘子教授などは、高齢者の追跡調査をする中で1割以上の人が社会の中でそれなりの参加の機会をもち寿命をまっとうしぽっくりと亡くなり、7割前後の人が自分の生活活動を最低限確保しながら老いを迎えており、残りの2割が病気になったり、身体や精神が衰えたりして介護を受けなければならないとの観察結果を報告している。いかに「団塊の世代」をして、2割の中に入らないようにするのか、いかにトップの1割になるよう頑張らせるのかが課題になろう。
もちろん政府も、日本再生プランでは国民の健康寿命だと謳っている。すでに、医療費の伸びが過大にならないよう15年までに糖尿病等、生活習慣病の患者、その予備軍を25%減少させるという目標も掲げてきた。そして、再生プランでは、健康促進、病気予防にヘルスケア保険のポイント支給や現金給付をすることも考えるといっている。
政策論としては過不足ないという見方もできよう。だが、それで動くのか。糖尿病等、生活習慣病といっているのも気になる。また「骨太の方針」がかりに75歳以上の1人あたりの医療費を目標に掲げるとすれば、そのための準備が必要のように思われる。なぜなら費用を引き上げている原因に終末医療があるが、終末医療への考え方を整理し、社会的通念の形成が形成されていくためには、先に触れたような老齢社会の構想が人口に膾炙されるようになることが必要といえるのではないだろうか。
ここでは、糖尿病という切り口の問題点だけをとりあげよう。確かに糖尿病が重くなり、それが透析を必要とするような段階になれば一挙に医療費は膨らむ。その意味で、患者個人だけでなく、社会にとっても、糖尿病を見つけ、それを完治させることは重要であり、糖尿病にならないよう肥満、メタボリック症候群を防ぐことも必要になってくる。NECは血液を採らずに血糖値を計測できる簡単なデバイスを開発し、上市している。一方、ノバルティスは、グーグルのウェアラブル技術を取り入れ、阿弥陀が含むブドウ糖の量を検出するコンタクトレンズを子会社で開発し、FDAの承認を得て糖尿病患者のモニタリングとしての製品化を目指している。
だが、死因の第一にWTOが挙げているのは、脳溢血など心・血管系の病気だ。日本でも癌とともに死因のトップを形成する。その入り口にあるのが高血圧症であり、その高血圧症の研究や家庭計測器の開発では世界のトップレベルにある。血圧を測定しながら高血圧症の課題を追及していく中で糖尿病への対処も可能になる。これらを組み合わせた予防システムが開発できれば、WTOの指摘のごとくグローバルに売込みができる商品になる。経済成長策として考えない手はあり得ないのではないか。
では、何がトップレベルにあるといえるのかを手掛かりに議論を進めよう。先にバイオメディカル革命はなかったという議論なり見方に触れた。新しい創薬が個別医療に近い癌治療薬以外枯渇していることも触れた。この裏側は生活習慣病・慢性疾患ではほとんどのニーズが満たされたということである。つまり、その分野では、既存の医薬品が十分に役立ち、ジェネリック医薬品が適用できるのだ。アメリカではジェネリック価格は1年目に75%、2年目には36%にまで低下し、2年目でも55~60%レンジにとどまるヨーロッパ諸国と比較して厳しい。パトリシア・ダンロンはアメリカのジェネリック市場が薬剤師主導であるのに対し、他国では医師の処方基準のため医師主導市場になっている違いが大きいとする 。日本でもジェネリック利用の拡大策が考えられるべきだ。なぜなら将来的にはジェネリックの価格引下げでミニマムの医療アクセスが保たれると考えられるからだ。
また慢性疾患のニーズが満たされるに際しては、スタチンの発見など、酵素技術に優れる日本の創薬メーカーの貢献は大であった。だが、それは過去のことで、今後の成長戦略には関係がない。そこで、2009年版に代わる「高血圧治療ガイドライン2014」(JSH2014)の意義から説くことにしよう。
血圧の測定には、診察室計測と家庭計測の二つがあることが知られているが、JSH2014では、診療室血圧と家庭血圧に差がある場合には、家庭血圧による高血圧診断を優先させることになった。家庭血圧の予後予測能をはじめとする臨床的価値が、診療室血圧より高いことを実証したエビデンスが日本で蓄積されていたからである。欧米のガイドラインで、家庭血圧の診断能力を診察室血圧よりも高く評価している例はなく、米国合同委員会やWHO/ISHガイドラインも追随したものという意味でJSH2014が世界をリードする形になっている。
 診察室計測と家庭計測では、後者の方が5~10低いことが知られており、JSH2014では高血圧の診断に家庭計測で135/85が、診察室計測では140/90が高血圧の分岐点とされた。したがって高血圧の診断には、この測定方法の違いによって4つの血圧群に分類することができることになる(図表1)。

図表1  血圧測定による4つの血圧群
  診察室計測血圧=140/90
             低い           高い

仮面高血圧
(モーニングサージ・
夜間非降圧)

本態性高血圧   

正常域血圧



白衣高血圧
(問題なし)
(Ⅱ型糖尿病)











       (出所)JSH2014を参考に筆者作成

家庭血圧に関しては、東北大学の今井潤教授の、いわゆる大追研究から、これまでも①診察室の血圧だけでは分からない高血圧がある、②より正確な計測になるなど、その重要性が指摘されてきたが、家庭血圧と診察室血圧を比較検討するなかから、“隠れた高血圧”を見つける手段にもなっている。その一つが「白衣高血圧」だ。これは、診察室で医師などに測定されると血圧が高くなる病態で、白衣高血圧は高血圧全体の2割程度とかなりの頻度でみられるが、緊張で一時的に上がっているためで、治療が必要ないケースがほとんどだ。とはいえ、Ⅱ型糖尿病の発見につながることもある。
反対に、診察室で測る血圧が正常でも、家庭で測ると高くなる人もいるが、この医師には見えにくい「仮面高血圧」は、危険な要素が強い。健康診断では正常血圧だったとしても、普段から血圧が高い状態が続くと、心肥大や腎障害などの臓器障害が進む危険もあるからだ。仮面高血圧のなかでも、朝方に血圧が高くなる「モーニングサージ(早朝高血圧)」は、自治医大の刈尾七臣教授などが東日本大震災の被災者を診察しているなかで見つけた現象で脳卒中や心筋梗塞の発症に大きく関わる危険なタイプの高血圧である。一方、一般の人では夜間就寝中は10~20数値が下がるが、この低下が起こらない夜間非降圧症(non-dipper)も仮面高血圧の重要な症例のひとつだ。JSH2014で家庭血圧として、「晩(就寝前)」とし、朝の測定についても、「起床後1時間以内」「排尿後」「朝の服薬前」「朝食前」と細かに規定しているのは、そのためだ。たとえば、早朝高血圧が見つかれば、長時間作用型の薬に変更したり、服薬時間をずらしたりするなどの対応が必要になろうからだ。
さて大迫コホート研究とは、岩手県の花巻市にある県立大迫病院を拠点に住民の健康意識を向上させることを何かできないかと1986年に東北大学の今井教授たちによって始められたものだ。研究の過程で乏しい研究費を算段して、血圧計を購入し最終的に配布された家庭血圧計は3,000台だった。現在日本に家庭用血圧計は4000万台あるとされ一家に一台、高血圧患者の77%が血圧計を保有し測定しており、24時間自由行動下血圧測定(ABPM)ができる安価な機器も発売になっている。
大迫研究を振り返って、今井教授は、医療費の伸びが低いこと、総死亡が減少し、結果として住民の健康寿命が延びたと総括する。総死亡の内訳をみると、脳血管死は横ばいだが、癌による死亡は明らかに減少した。これは家庭血圧などを用いたアクティブな健康意識への変化が、癌などの早期発見、早期治療にも結びついたものと考えられると付言している。今井教授は、大迫研究を基本にこれを病気、疫病そのものに還元しなければならないと考えて、HOMED-BP研究を始めている 。
一方、国際医療福祉大学・三田病院の佐藤敦久教授は、この家庭血圧測定が普及しているという好環境をいかして、高血圧に伴う心臓病や脳血管障害などの合併症があまりうまく予測できないが、家庭血圧を用いれば高い精度で予測できることが分かった大迫研究の成果を実施に移していくべきだと主張する。そして、家庭血圧を腕時計型のスマートフォンに置き換えて行けば、ABPMとなって心拍数や血圧を24時間計測するだけでなく、歩行記録から消費カロリーの推定値を出せ、NECの血糖値測定器のような機能を組み込めば、さらに多くの健康データが収集できる。単にアップル、単にDeNAではなく、公共財としてのビッグデータとして用いる手立てをすべきだというのであろう 。
確かに日本の健康保険の組織はアメリカのHMOなどと比べても単位が小さ過ぎ、そこでビッグデータなどといってもビッグデータになっていない惧れ大である 。医療の先端での発見も、先に見たように、東日本大震災という危急の環境の中で半ば強制されたデータ収集の中で行われたものだ。75歳以上のプロファイルを見るためには、半ば強制した形で健康な者から病める者までの幅広いデータをとる必要がある。ジェエリックの処方がどんな効果なり影響を持つかの追跡でも、相当に広いデータベースが必要だろう。単なる自主性に任せていては真の「データヘルス」に到達しないのだ。
東京が、関西地区の国家戦略特区に対抗して、半ば強制されたデータ収集をうたう医療ビッグデータのプロジェクトを取り上げるには、今や時期が遅すぎるといえるのだろうか。

アジア大の健康プログラムに仕立て成長戦略とする

生活の向上にともない、アジアでも現状のワクチン中心のものから生活習慣病・慢性病に変わっていく。高齢化もアジアでも進展しているが、日本の跡を追って、加速するだろう。
だが、この分野はアップルの腕時計型端末の生産台数が月300~500万台と予想されているように、変化が急速で、大迫研究の成果、モーニングサージを発見した刈尾研究の成果を一挙に織込むことも可能になる。
だが、DeNAの動きも、ソニーの動きもばらばらのように見える。パナソニックはこの分野から撤退し、オムロンやテルモには機敏さが欠け、日本はアップルやサムスンに敗れる可能性もある。アップルは、腕時計型端末には新OSを搭載し、他社製のデータも取り込みを可能にし、様々な健康データの受け皿になるようにデザインしたという。おそらく、デジカメとスマートフォンの間でおこっているのと同じように、測定精度と利便性のトレードオフが起こっているのだ 。ふだんから家庭血圧を測り、高血圧を早く見つける契機をつくるという意味では、大量生産の腕時計型端末はしばらく入り口商品に留まり、多少とも本格的に遂行していくには専用血圧測定を必要とするかも知れない。
だが、大量生産の腕時計型端末の性能が急速に上がり、日本、アジアの展開は同時に進めなければならないことも考えられる。そうした場合、日本が、そうした動きに対抗できるだけのスピードで展開できれば、それはそれでよいが、リコーが企図しているように、アップルなど市販の端末を利用し、家庭計測の実施プログラムを進めることを優先すべきかも知れない。
いずれにせよ、日本がアジアに持ち込むことができる本格的なプログラムにするは、複合的にアプローチしていくことであろう。人種に拠ってSNPとよばれる遺伝子発現の違いによって薬の効き目に違いが生じ得る。だが、同じ糖尿病でもアジアでの発症はタイプが欧米と異なる。たとえば、欧米人には36 % と、高い確率で現れる糖尿病を引き起こしやすいSNPが日本人ではその10分の1しかない。同じような傾向がアジア人には見られることに注目したい。
高血圧でも、糖尿病でも、食事療法、運動療法が欠かせない要素となっている。高血圧での減塩の1日9グラムというJSH2014のガイドラインは厳しすぎるという印象だ。糖尿病では、現在のところ、食事制限と運動をしないと完治せず、この二つの負荷に耐えられない人が多いからだ。その点で、高血圧では、JSH2014には失礼だが、食事制限と運動を代替できるほどに飲み薬の効き目が上がっている。
だが、糖尿病でも、運動や食事制限ができない糖尿病患者に対し効果の高い薬の開発につながるというアディポネクチン受容体を活性化させる物質が東大の門脇孝教授によって発見され5年以内に臨床試験に入るという。このことは、日本の創薬企業にとっての朗報だろう。さらに言えば、患者や医療保険制度はもちろん、輸入超になって競争力を失ってきている日本の医薬品業界の朗報ではないだろうか。なぜならそしてアジアの糖尿病患者候補は、日本人の1000万人に対し、中国9000万人、インド6000万人と規模が大きいだけでなく、上記のように日本とほぼ同じ患者プロファイルになると見込まれることだ。日本がアジアで唯一の創薬メーカーであることに加え、アジア人種の特性を活かした治療方法も含めて総合的なアプローチができる体制をつくることができれば、欧米メーカーに勝つこともできるだろう。
日本では腎透析を必要とするなど糖尿病の重症化が起これば5000億円の医療費の増大を招くと、重症化阻止への取り組みが始まったばかりである。一方、国立循環器病研究センターの予防医学・疫学情報部の西村邦宏室長らの研究チームが、心筋梗塞などの冠動脈疾患が10年以内に発症する危険度を予測するスコアを日本人向けに新たに開発した 。いずれも、脂質異常、血管系疾患など共通の切り口とともに相互の因果関係について、蓄積されていくビッグデータを解析していくことによって、検証され、見直しが進むことを示唆している。言い換えれば、これまで見てきた高血圧からのアプローチの中に組込む体制がそれだけ整っていくといえるのだ。
一方、タニタがインドで健康食の指導などを初めているなど個別的な対応行われている。こうしたアジア社会経済の雁行形態的な発展の特性を活かした営業をするためには、予防から治療までシステム化した形の中での分業ができる体制を早期に築く必要がある。高齢者の治療でのポイントは、合剤の合理的な使用であろう。先に見た呉市の指導した患者の中には同じ病名で同じ病院に月15回以上、3カ月通院した人が483人いた。これらは明らかな過剰受診だが、高齢者が5つも6つもの処方箋を受けることは珍しくはない。高齢者になると、いくつかの生活習慣病・慢性疾患が現れ、それらへ処方された薬剤をもれなく飲むことは、患者本人にとっても負担だ。事実、国際医療福祉大学の佐藤教授の調査では薬剤が増えるほど、そして飲む期間が長くなるほど、薬は飲まれない。それだけ無駄が発生し、医療の効率性が落ちているのだ。医薬品会社にとって合剤をつくること、医師の処方したそれぞれの薬剤の効果を見据えながら、薬剤師が合剤を処方するといった体制改革も必要になろう。薬剤師主導になれば、成分が同じで価格が安い後発薬の利用を促
されることになろう。
だが、高齢者社会においては、いわゆるヒューマンエンハンスメントの恩恵を自から刈り取るべく、自分の健康管理を自らが主管できる体制を構想する必要があるのかも知れない。いずれにせよ、日本が血圧測定を糸口に築き上げた健康促進システムをアジアに展開できるものに仕上げていくことが成長政策になろう。

(参考文献など)
1.髙橋琢磨「バイオテクノロジー産業の特徴:日米比較から」生命科学産業政策研究フォーラム(東大先端経済工学研究センター、企画および発表、1999年)。「アジアを代表する創知のセンター建設へ」『私家版マニフェスト:土建国家からエコ/創知国家へ』(2009年)は総合科学技術会議の本庶議員によって全員に配布された。
2.Merck&Co. Inc.”Open Letter from Merck and Company, Inc.” New York Times, (Feb.19,1993)
3.P Abelson, “Improvements in Healthcare,” Science 260 (1993)
4.黒川清『大学病院革命』日経BP社、2007年。
5.こうした姿は経営学者、故ピーター・ドラッカーが21世紀の専門家、プロフェッショナルのモデルでもある。
6.髙橋琢磨『苦悩し変貌するアメリカ』http://www.amazon.co.jp/dp/B00DJ7V0VO/、 2013年。
7.S. Smith, J.P. Newhouse, and M.S. Freeland, “Income, Insurance, and Technology: Why Does Healthcare Spending Outpace Economic Growth?, Health Affaiars, Sep.-Oct.,2009
8.Michael Hopkins, et al. “The Myth of the Biotech Revolution: An Assessment of Technological, Clinical, and Organizational Change,” Research Policy, 2007.
9.Gary P. Pisano, “The Evolution of Science-based Business: Innovating How We Innovate,” Industry and Corporate Change, vol. 19(2)
10.今中雄一「混合診療と医療改革・下」『日本経済新聞』2014年7月25日朝刊。
11.Patricia Danton and Michel Furukawa, “Cross-National Evidence on Generic Pharmaceuticals: Pharmacy vs. Physician-Driven Markets,” NBR Working Paper #17226, July 2011
12.HOMED-BPは、東北大学を核に、日本全国の約500人の医師の協力を得て、患者登録をしていき、一人7年追跡することで、家庭血圧をどこまで下げたらいいかという目標値を全国規模でつくるというのが狙いとした研究である。予定では、全部終わるのに10年位を要する息の長い仕事で、当面の対応というわけではない。
13.アップルはメイヨークリニック、クリーブランドクリニック等との提携を、DNeは生活習慣病と遺伝子解析の結果と結びつけアドバイスする視点で東大医科学研究所との提携を発表している。
14.飯塚敏晃「患者の視点で考える医療情報の開示」『NIRA対談シリーズ38』2008年11月。
15.カメラの大量生産の意義については、髙橋琢磨『戦略の経営学』(ダイヤモンド社、2012年)を参照のこと。
16.冠動脈疾患のリスク評価としては、米国で開発された「フラミンガムリスクスコア(FRS)」が広く用いられてきたが、心筋梗塞の発症率が欧米人と比べ2分の1以下である日本人には不正確な評価だと指摘されていた。そこで、研究チームは、年齢、性別、喫煙、糖尿病、血圧、LDLコレステロール、HDLコレステロール、慢性腎臓病(CKD)-の8つの危険因子を点数化し、その合計点でリスクを予測できる「吹田スコア」を開発した。

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2014年06月26日

2014年7月号  「法の支配」とASEAN経済共同体の発足 - 高橋琢磨

 【趣旨】
日本のアジア政策の中で、経済共同体を目指すASEANへの対応はかつてなく重要になっている。ASEANの発展がアジア経済社会の深化をもたらすだけでなく、日本ASEAの良好な関係が、対中関係の打開の糸口にもなるからだ。経済の依存関係の深化も重要ではあるが、今必要とされる切り口が、EU設立の理念ともなった「法の支配」の理念の共有だ。迂遠なようで、ときには煩雑だと受け止められることもあろうが、将来を見据えながら自国の立ち位置を確認するという意義がある。混乱のタイにも適用が可能だ。

【キーワード】
「法の支配」、ASEAN経済共同体(AEC)、米中関係、雁行形態での先頭の日本、民主主義、タイの憲法、公共財としての日米同盟

1.域内関税撤廃で始まるAEC(ASEAN経済共同体)

反共同盟として始まったASEANは、時代の変遷とともにその性格を変えてきたが、1997年のアジア金融危機を契機に経済共同体構想が動き出した。
AECは、アジアの中で中国、インドという大国が誕生し、このままでは大国の草刈り場になりかねないとの意識から、6億人、総計2兆ドルの規模をもつ統一市場をめざし、まずは、①関税撤廃で始められた。これと並行しながら、②知的財産権保護といった政策での共通化(harmonization)、③域内での格差是正を目指す公正な経済開発(equitable economic development)を達成することで、2020年には域内総生産が4.5兆ドルと倍増させ、④FTAによってグローバル経済への統合ができる体制を目指す 。
まずは2015年末までに域内関税を撤廃することを達成することで、ASEAN経済共同体(AEC)の発足と位置づける。先行するシンガポール、マレーシア、タイ、ブルネイ、フィリピン、インドネシアの6か国は13年末で対象品目の99%の関税を撤廃しており、撤廃は指呼の間にある。
一方、後発のベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオスも、ASEAN事務局長に就任したベトナム出身のレ・ルオン・ミンも指摘するように、一定の存在感を備えてきたことは確かだ。すなわち、09年時点では、この4か国のGDPは地域全体の6%に過ぎなかったが、13年にはほゞ12%と、倍のウェートを占めるまでになっている。ただ途上国の常で、国民への課税が困難で財政の関税への依存度が高く、関税撤廃へのハードルが高い。それでも、消費税、奢侈税などの増税と組み合わせ、18年までの関税をすべて撤廃する計画だ。
関税撤廃で始まったAECは、モノの移動の自由化ではほぼ目標通りであり、相互協定によってタイ、ベトナム、ラオスの間ではシームレスのトラック輸送が可能になるなど、通関の簡素化などでも進展が見られる。これを利用して、たとえば日本の運輸大手の日進は3か国横断運輸サービスを開始している。一方日通は、通関手続きは残っているが、国際的な鉄道を利用して、トラックにはできない、大型コンテナ輸送をマレーシア、タイ間で始めた。
ヒトの移動の自由化でも、短期滞在のビザ撤廃ではミャンマーなど一部を除き実現しているが、熟練労働者などの移動の自由に関しては、自由化すれば先進地域に人材が吸い上げられてしまうのではないかとの懸念も強く、具体策を検討できるまでになっていない。サービスの自由化でも、14年に開かれた財務省会議で加盟国の金融市場の統合を加速することで合意したが相互進出の自由化など具体策は出ていない。小売などでも15年末までに出資比率の上限の引上げを目指すことを申し合わせたが、各国ばらばらの規制への統一基準等が示されてはいない。
 ゆるやかな統合を目指すAECは、同じ共同体でも、条約によって成り立ち、ECコミッションという司令塔をもつ、EU(欧州共同体)とは大きく異なる。すなわち、域内の主要6か国をとっても、一人当たりGDPで5万ドルを超えるシンガポールから1000ドルに満たないベトナムまで、きわめて大きな格差がある。政治体制も、直接選挙で選ぶ大統領制をもつフィリピン、インドネシア、議会内閣制のシンガポール、立憲君主制のタイ、カンボジア、共産党独裁が続くベトナムまで多様な形をとり、タイを除けばいずれも植民地からの独立国で、民主制の伝統もない。
一つの物差しでは処しきれない格差と多様性をもった共同体では、それぞれでなければ成りたたないとされるが、ミンASEAN事務局長は、まずは政治・安全保障、経済、そして文化・社会という3本柱での課題に優先順位をつけて取組み、国家、地域レベルの行動連携を改善していきたいと決意表明している 。換言すれば、首脳会議をASEANの意思決定機関と位置づけながらも、政治的には相互内政干渉をしないという原則で動いている。
にもかかわらず、現在のヨーロッパ連合の基礎として「法の支配」が謳われている。アジアでも「法の支配」によってヨーロッパの安定を得ることは可能なのかを問うてみたい。
「法の支配」を提唱したのは、オックスフォード大学の憲法学者(ヴァイナー講座担当教授)のアルバート・ダイシーで、1885年に著された『憲法序説』はそのバイブルとされる。故伊藤正巳とともに同著の翻訳者になった筑波大学名誉教授の田島裕は、『議会主権と法の支配』を上梓し、民主主義とは国民に国家主権があることを意味し、その国民の意思は議会を通じて確定されるとし、法の支配が議会主権、民主主義の根幹となっていることを説明する。イギリスの議会は、万能の権力をもっており、法律を制定することによって、国民の生命を奪うことすらできる生殺与奪の絶対権利をもっていると、その議会主権の権能を表現している。

2.大国、中国の台頭でためされるASEANの「統一」

 なぜアジアで「法の支配」なのか。それは、南シナ海では中国が一方的に水産資源の豊富なスカラボー磯周辺の漁業権の設定しフィリピン漁船の締め出しを図ったり、ベトナム経済水域である西沙諸島付近で石油掘削作業の開始をしたりして、ASEANのメンバーであるフィリピン、ベトナムの領土権をおかそうとしており、これを念頭に関係当事国に自制と武力の不行使を促し、法的拘束力のある行動規範の早期策定に取り組みたいとしているからだ。
ところが、中国は、国内法で領有を宣言し、軍を送り占領し市長を任命することで南沙諸島の領有に正当性があると主張している。尖閣諸島についても、全国海洋工作領導小組では、日本が尖閣諸島の国有化した後に中国領土であることを示す海図を国連に提出し「受理」された。
こうした中国の奇異な行動の「理論化」の背景をなすのが、清華大学の当代国際関係研究院長の閻学通の「国家利益論」である。閻は、国家利益に階級性はない、国家利益と個人利益は統合される、国際利益は国家利益が変形したものだともいっている。つまり閻にとって国益とは、どこまでも国益であり、個人をも否定し、国境をも超え得るものなのだ。「主権は国境を越える」というのだ。
こうした閻の主張を下敷きにすると、ベトナムの経済水域で一方的に石油掘削の杭を打ち込み、ベトナム当局が介入しようと海保の船を送り込むとそれに数倍の艦船を対峙させ「我が国は「国際法」にのっとり、行動しているのであり、その行動を妨げる行為は断じて許されない」などと、あたかも自国に正当性があるかのように外務報道官などに発言させる、中国の奇異な行動の背後も見えてくる。それは、現行の国際法に則って行動しなければならないとすれば、エネルギーや漁業資源の獲得ができない。そこで、力ずくの資源獲得、領土拡大を「正当化」するのために勝手に閻流の「法理論」が生み出され、それがあたかも本物の法であるかのようにふるまっているのだ。そして本物の法であるかのような法が、中国の官僚、軍をして力ずくの行動をとらせているのだ。
中国海軍は、日本列島から沖縄、台湾へとつなぐ防衛ライン、「第一列島線」の内側を2000~10年ころまでに内側での制海権を確保することを、そして目標として掲げていた。次の10年で小笠原、グァム、インドネシアを結ぶ「第一列島線」の内側にあたる西太平洋での制海権を確立することを目指している。この戦略は鄧小平に重用され、海軍出身ながら軍事委員会副主席にまで登りつめた劉華清が策定し、軍事委員会で承認されていたものだ。そして、単に南シナ海、尖閣諸島の領有にとどまらず、オホーツク海からアンダマン海に至るまで半閉鎖海になっている東アジアの海の全領域を内海にしようと、中国は、これらをチベットや台湾と同列に扱うようになっているとの見方が強まっている。
ASEANでは地域安全保障をめぐって域外との同盟関係を認めず結果として大国の関与が拒否できるのではないかとするインドネシア、マレーシアなどと、域外大国の関与を引出し積極的にチェックアンドバランスを図るというシンガポールに代表される立場の違い、があった。カンボジアやラオスなどが中国の属国のように振る舞っているが、中国の台頭によるASEANへの圧力が明確になる中で次第に、大国、インドネシアが後者の立場をとるようになってASEANの意思統一がかろうじてできている。

3.公共財としての日米同盟

シンガポールのいう域外の大国によるバランスとは、中国と、日本、アメリカとのバランスであることはいうまでもない。
安倍晋三内閣は、靖国参拝などで、日中関係を改善する意思があるのか、米国の戦略家たちからも疑念が出ていることは確かだ。だが、歴代政権ではあまり用いられてことのない、英米法に根差す「法の支配」を唱えていることに留意したい。
だが、安倍首相の「法の支配」の用い方は、先にあげた議会主権、そして司法が少数者にも目配りする社会になっていることに目をむけたものではなく、たとえば「日米は共同で法の支配、民主、安全保障を世界に、地域にもたらす」といった具合に用い、同じ価値観をもる日米の同盟が地域の安全保障に公共財としての役割を果たすこと期待している 。つまり、民主、法の支配など、価値観を共有する日米が、中国の「偽国際法」に対抗するものだというのだ 。
こうした傍若無人な大国、中国の行動を阻止できるとすれば、それはアメリカの「関与」が欠かせない。だが、アメリカの対中国への「関与政策」とは、自分たちのもつ法の支配、人間の尊厳、民主主義制度、国家間の暴力の否定、自由貿易といった現代国際社会や価値観やシステムを、先進民主主義国とともに「責任大国」になるよう慫慂していくというものである。安倍首相の「法の支配」論議も、これへの呼応だが、現実的には中国が「法の支配」を共有することは期待しておらず、当面は中国の不法行為を抑止することのみが考えられていると推量される 。
ところが、アメリカがアジア回帰したと宣言しているにもかかわらず、アジア諸国は、その本気度を疑っている。オバマ大統領は、財政問題のためにAPECの首脳会議を欠席したり、領土問題へのコミットメントを避けたりしており、アフガニスタンとイラクの二つの戦争を終わらせたことを自分の遺産にしようとしているからだ。さらに重大なのは、アメリカ国民の大半が積極外交を望んでいないことだ。
そして、オバマ大統領のシリアの化学兵器についての発言である。いわば化学兵器が使用されているのなら、それはレッドラインであると言っておきながらロシアの化学兵器撤去プランに乗ってしまった。そればかりか、「世界の警察官ではない」と発言し、朝鮮戦争以来の役割を終えたことを明確にしたからである。
実行に移されない発言は信用されない。アメリカの抑止力が地に堕ちた瞬間だ。このシリアでの宥和策が、慶大教授の細谷雄一も指摘するように、アメリカの権威を失墜させ、ズデーテンランド問題をめぐるミュンヘン会議でのイギリスのチェンバレンに匹敵する失策であったことは間違いない。そして、シリアでの失政のすぐ後には、クリントン前国務長官が、ロシアはロシア系住民の保護を名目に軍を展開しクリミア半島を編入しようとしたロシアの言動をナチス・ドイツのズデーテンランド編入と同じだと語らなければならない状況になったのである 。
2014年4月のオバマ大統領のアジア歴訪、そして5月にウェストポイントで行った外交演説がアメリカのリバランス政策を確認させるためのものであっただろう。確かに安倍首相との日米首脳会談では、中国への抑止を効かせるべく、尖閣を日米安全保障条約の範囲内だと発言した。しかし、中国とは新しい大国関係を築きたいとの期待を示し、領有権問題に関しては中立であるとしており、しかも尖閣がレッドラインになるとは言っていないのだ。南シナ海での中国の一方的な行動には言語の上では断固反対であっても、領土問題では話し合いで解決を図れというにとどまっている。ウェストポイントでの外交演説でも、「すべての問題に軍事解決があるわけではない。アメリカは高い代償を伴う間違いを犯してきた」と、前政権の否定以上の答えを出さなかった。
このような態度では、新しい「法体系」まで用意して確信犯である中国の行動を止められない。中国は、これまでも実利としての自由貿易はとっても、先進民主国家との価値観の共有を拒否し、勢力が伸ばせるならば伸ばしていくという態度をとってきた。ライス補佐官の新しい大国関係をという発言やクリミア半島でのアメリカの拱手は、中国にとっては付け入る隙なのだ。中国は、強引な戦術で、アメリカは同盟国を守るために戦争の危険を冒す用意がないのではないかとの疑念を植え付け、アメリカとアジアの同盟国、とくに日本との関係を壊そうとしているのだ 。すでに『エコノミスト(英)』誌がオバマ大統領は今までのやり方を変えなければと注文をつけているように、アメリカが中国にレッドラインを示さない限り、膨張策をやめようとしないのだ。
では、米中のアジアでの影響力行使はどう決着するのだろうか。CSISが朝日新聞の援助を得て14年のオバマ歴訪の直前にアジアの安全保障専門家に行った調査では、オバマ政権が掲げるアジア・リバランス(再均衡)政策について、ほとんどの国・地域の専門家が8~9割超(全体平均79%)の高い支持を示したが、中国だけは不支持が多く、リバランス政策をアメリカ主導の対中国「封じ込め政策」ととらえ、警戒を強めていることが浮き彫りになった。また、中国以外の各国・地域もリバランス政策そのものは支持しているものの、「財源や実施が十分ではない」との回答が全体平均で最多の51%を占め、アメリカの専門家の7割も同じ見方だった 。
財源や実施が十分ではないアメリカ外交は、現実の場面で、どうなっているのだろうか。アメリカのケリー国務長官は、こうした中国の挑発行為は秩序への挑戦だと非難したが、中国の行動は中国的秩序を求めたものなのだ。ASEANが一致して中国との間で行動規範を早期に策定するよう求めても、中国は、自国経済との非対称性を利用してベトナムから製鉄所建設現場の3000人を含め4000人の従業員を帰国させ、対ベトナム輸出を停止するなどして揺さぶりをかけている。「チャイナ+1」でベトナムへの直接投資が増えてきているが、最終組み立ては移って来ても、原材料、部品等の供給では中国に依存している企業が多い 。その意味で中国にとってはベトナムへの輸出は大きなメリットをもたらしている。
だが、大国、中国から見れば、ベトナムとの経済関係は小さく、ベトナムにとっては大きい。中越の対立が続く中で、中国は今のところサプライチェーンの分断はしていない。中国が国境の通関検査が強化されたり、物資を止めたりするような挙に出た場合、その効果は、ベトナムに大きく及ぶ。この経済リスクが、外相、首脳、そして防衛と共同声明の時間的な経過とともに対中国宥和の色が濃くなっていることにも表れている 。
ベトナムは国際司法機関への提訴の構えを見せ、アメリカも、サイバー攻撃に従事した中国軍関係者を犯罪者として告訴したりして揺さぶりを始め、対中国での政策変化を模索する中で、中国も国務委員の楊潔箎をベトナムに送り込んだ。だが、それは対話というよりも恫喝に近かった。南沙諸島の問題では、中国は、2国間での交渉で済む話だと回避しながら、日中間での白樺での実績なども踏まえ、一本の試掘が始まり次の試掘へと工事船をまわし既成事実を積み重ねているのだ。
こうして両国の話し合いで実際に中国の膨張を止められないのなら、それは、アキノ大統領がいうように、アメリカの怠慢であり、第1次大戦の膾(なます)を吹いてナチス・ドイツの膨張策を止められなかったミュンヘン会議での英米と同じということになる。軍を動かすぞというレッドラインを提示し、中国が力づくの現状変更をやめるという交渉が可能なテーブルを用意する時期が来ているといえるだろう 。

4.力の中国対雁行形態の発展で先頭としての日本

中国は、アメリカが主導してきた国際秩序に対抗し、アジア域内の安全保障サミットであるアジア信頼醸成措置会議(CICA)を中国主導の秩序形成の足場にしようとしている。習近平国家主席が主催した14年5月の会議には、日米ともにオブザーバーの資格で参加しているが、ユーラシア大陸の国を中心にロシアのプーチン大統領を含む少なくとも14カ国の首脳が出席し、アジアモンロー主義を唱えた。習近平は領土問題についても国際法に基づき平和裏に解決することを訴えたが、オバマのアジア歴訪の後に、ベトナムの沖での石油掘削作業を保護するとの名目で50隻もの海洋監視船を派遣したのは、中国に外ならない。ロシアのクリミア併合に平仄をあわせたアメリカの秩序への挑戦だ。中国の唱える信頼構築も、睦隣外交も、中国の国益に合致する限りという限定がつく。
また中国は、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)に対抗して、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立する構想を打ち出した。すなわち、カザフスタン、スリランカ、韓国、モンゴル、パキスタンの5か国にASEANを取込もうというものだ。AIIBの概要としては、域内のインフラ発注国、インフラ受注の(中国)企業の海外での資金調達能力が弱いので、これらインフラ整備にかかわる資金の不足分を補うことを目的とし、各国で500億ドルを出資し、香港に本部をおくという。
だが、大国、中国の東南アジア社会への浸透は、単に領土での侵攻、経済、金融だけではない。東南アジアには、現在、中国の国務院僑務弁公室の「華僑・華人研究報告(2013)」によれば、世界の華僑・華人の約7割を占める約3508万人が居住し、彼らの存在を通じて大きな影響を及ぼしているからだ 。東南アジアのどの国も、大きな富を持ち、一国を越えて活躍しようという華僑とそれに依存せざるを得ないというジレンマを抱えてきた。
こうしたジレンマを克服する手段として考えられたのが、インドネシア土着民の利益を保護する開発独裁の政策がインドネシアのプリブミ政策、マレーシアでのマレー系民族の地位向上のためのアファーマティブ・アクションとしてのブミプトラ政策であった。ところが、今やマレーシアではブミプトラ政策が見直しの段階へと変化し、インドネシアでは対華僑への差別はほとんどなくなった 。中国経済が世界第2の経済大国へと台頭してきた結果、先の「華僑・華人報告」も指摘するように、域内の華人の経済的実力や政治的立場にも根本的な変化がおとずれ、これまでとは逆に、中国文化が東南アジアに大きな影響を及ぼすようになったのだ。こうした社会的雰囲気の中で、国富の割をもつ800万人の華僑がインドネシアでは、これだけ大国になった中国が多少横暴に見えるかもしれないがそれは新興大国として当然のことだといった見方がでていたのだ。
だが、そのインドネシアも、先に指摘したように、中国への警戒を強めるようになってきた。一方、ベトナムでは、鄧小平の起こした中越戦争で、華僑は何十万人の単位で海外逃亡したとされるが、それでも今日も華僑は100万人いるが、現在の対立によって、再び疑似中越戦争の状況にある。そして、東南アジア華僑の中で最も土着化したタイ華僑は、マスとしての都市富裕層を形成するところとなり、対中国では積極中立が目指しているように見えた。だが、タックシン、反タックッシンの対立の中で、中国は保守派である反タックシン派を取り込み、アメリカを牽制することに成功するかにも見えた 。だが、中国の台頭によるASEANへの圧力が明確になる中で次第に、米国の関与を求める立場がとられるようになった 。だが、14年5月にプラユット陸軍司令官に率いられる軍が戒厳令を布告し、事実上のクーデターを起こし、事実上、選挙で選ばれたタックシン派を追放したことから事態は一変した。
日本政府は、ベトナムが対中国での立場を鮮明にしたところから、ODAにからむ収賄事件の制裁をうやむやに、幕引きを図っている。日本は、タイ投資で圧倒的に高いシェアをもつが、その投資が土着化したタイ華僑と結びついていることもあってか、だんまりを決め込んでいる。だが、日本は、力で東南アジアに浸透している中国に対し、雁行形態の発展で先頭を走ってきた者としてアドバイスをしていくべきではないか。その拠って立つところは、「法の支配」であろう。

土着化した華僑と軍事クーデター:「タイ式」民主主義

タイは、発展途上国で民主化の手本だといわれたことがある。それは、1979年にもっとも民主主義的といわれた憲法を制定したからだ。その新憲法の下での最初の政権となったのがタクシン内閣である。それまでの小党分裂の何もできない政権が、与党を生み出す構造をもった選挙制度にかわり、その制度を最大限活かしてマニュフェスト選挙を行い、その公約通りの政策が実行される。これはタイ国民が経験したことのないことであり、有権者にとって選挙の意味が革命的に変わった 。つまり、ダイシーのいう議会が主役に躍り出たのだ。
タックシンは、声を選挙で引き出したのだ。タイでは、首都圏と地方部では一人当たり所得差が数倍にもなり、上位2割と下位2割の所得格差は10倍になるとされる 。地方部からの若年層を中心とする人口流出がこれまで社会安定の基盤であった大家族制を徐々に切り崩し、セーフティネット機能が弱体化してきている。このことが、政府からの公的支援を求める地方部の住民の声を大きくし、タックシンはそれに応えたことになる 。たとえば、1バーツ医療制度だ。つまり、タックシンが農村の票を基盤に総選挙を勝ち、中間層、土着化した華人系タイ人、国王などからなる都市部都市勢力に対抗する姿勢を明確にした。
タイでは、前者の利益を代表するタックシン派、後者の利益を代表する反タックシン派という対立するだけでなく、中心国であるがゆえに農村人口が多く、選挙ではタックシン派が絶対に有利という事実が反タックシン派の恐怖を呼び、分裂状況が生まれたのだ。
タックシンが05年の総選挙で勝利すると、反タックシン派は、選挙では勝てないとみるや、枢密院顧問のスラユットは06年にかつての部下、ソンティ陸軍総司令官をそそのかしてクーデターを起こさせ、その得た政権で憲法を変え、充足する経済など「国の基本政策方針」を置き、憲法裁判所、選挙管理委員会、汚職防止取締委員会など、選挙で選ばれた者に対抗するための数々の政治監査機関を用意した。象徴としての元首ではない国王をいだくタイでは、立憲君主制を標榜するものの、君主の生殺与奪の権利を議会へと移した名誉革命の伝統をもち、王権を制限したイギリス憲法、タイ自身が普通選挙を実施するようになった経緯を無視した立法だ。逆に、「国の基本政策方針」は、アジア金融危機後の経済運営の在り方として「ほどほとに」と、国王がつぶやいたものを憲法に盛り込み、国王の権威でもって内閣をしばろうというものだ。比較政治学者の外山文子は、「基本政策方針」に法規範性を持たせた憲法はどこにもないものだと指摘する 。つまり、選挙で勝ち内閣を主宰するものはポピュリストであるとし、そのポピュリストをコントロールするためのものなのだ。
確かに憲法裁判所は連邦制をとるドイツの連邦憲法裁判所を模し、「法の支配」を徹底しようとしたとも言える。また、ドイツの連邦憲法裁判所は「違憲論争」の際には、連邦議会議員の3分の1の数を満たせば十分とし、少数の権利を守っているが、それを取り入れたともいえる。だが、それはドイツでは、基本法で保障されている三権分立の原則および連邦国家を擁護するために活動するのであって、議会民主主義の補完としてのものだ。タイにおける展開では、選挙をしても負け、一方で黄シャツ(PAD)デモを動員しつつ、これら監視機関の判断でインラック首相を初め政権に就くものを次々と追放するというもので、文字通りカッコつきの「法の支配」によって、議会民主主義を覆そうというもので、ドイツ憲法とは似て非なるものだ。
次の選挙をこばみ、「勅撰」首相の選出を試み始めるという構図は、05年以来の攻防の繰り返しであるばかりか、監視機関の判断でもバランスを欠き、正義も失われている。アメリカ憲法では、付随的違憲審査権が認められ、ニューディール政策に対し最高裁は違憲判断を連発し、結果として最悪の結果を招いた。この反省に立ってアメリカ法を母法として日本国憲法が生まれた 。憲法判断が事件の解決に必要な場合以外は行なわないという憲法判断回避の準則が存在する理由だ。キャッチアップ型、開発独裁を目指すタイでの違憲判決濫用は、きわめて不適切といえよう。特に「基本方針」を法定することは、変化する現実へ行政が対応することを大きく妨げる。これでは、民主主義は貫徹されないと赤シャツ(UDD)が騒ぎ出したのも不思議ではない。

プラユットによるクーデターとその出口政策

ふたたび赤シャツ、黄シャツのデモが激突する危険も出てきた。赤シャツ・グループは、黄シャツに対抗するために07年に生まれた、農村の中層、都市下層階級、知識人などからなる混成部隊とか、烏合の衆といった評があるが、途上国における新しい中間層だといえよう。一方、黄シャツは、騒ぎを大きくすることで国民の間に軍の介入の期待を高めさせ、軍にクーデターを引き起こさせるための先導隊なのだ 。
果たせるかな王党派に担がれた軍ではなく、中立でタックシン派と反タックシン派との間の仲介をするという触れ込みで、形だけの1時間の話し合いを行わせた後にクーデターが宣言された。つまり、形だけの話し合いの裏では、海外にいるタックシンとタックシン派内閣の総辞職を交渉し、タックシンが拒否するとクーデターが宣言された。国家平和秩序評議会(NCPO)を名乗る軍事評議会が全権を掌握した。タックシン派の幹部らが拘束され、国軍が反タックシン派として行動していることが明白になった。
軍部によって国家が乗っ取られた状況になったとき、その軍事国家は世界にとっての恐怖になり得る。だがタイでは軍のクーデターは1932年に立憲君主制がとられて以来19回目だ。クーデターは、国王、世論というバランスの中で一定の役割を果たしてきたという過去があったからだ。現国王のプーミポン体制自身が、国王の老齢化で一方的に都市勢力派への加担など判断力の低下、王党派による利権維持策、それに民主教育、選挙制度の進展による臣民から市民への意識変化などが加わったことによって、弱体化している。軍自身も、国王の軍を名乗ってももはや正統性を獲得できない。
そこで、軍部には、軍政が一時的であり、この国には復元力があることを早期に示す必要が出てくる。復元力が残っている限り、他国は干渉すべきではないからだ 。事実、ASEANも警戒しながらも事態を見守っている。予算策定を急ぎ60万世帯に約束したまま滞っているコメの買上げ、公共投資の凍結、さらには7000億バーツを超す内外の投資案件の認可問題などを処理して、短期的には開発独裁の要諦を全うするというのはとともに、暫定政権の下で、固定資産税、相続税の創設など税制改革を進める一方、新憲法を制定し、その新憲法の下で選挙を行うという筋書きを描いていたと考えられる。
暫定政権を上院議長の指名、国王の承認という形で成立させようとしていた入り口のところで国王の承認が得られず、NCPOは急きょ上院を廃止し、前上院議員を含む「立法会議」に暫定首相の選定、新憲法の制定などを担わせ、政治・経済・社会の改革を進めるために「改革会議」を創設することにした。
プラユット陸軍司令官は、出口を見出すための手続きを3段階に分けて進めるとした。第1段階は軍主導で各地に「和解センター」を立ち上げ、対話を通じて対立の緩和を図るもので、期間としては2~3か月を想定する。第2段階として民政復帰に向けた環境整備で、軍が予算を立て新たに発足する暫定政権がその執行をにない混乱した経済を立て直す一方、先の二つの会議をフルに動かし15か月程度で新憲法、国内改革を進めてある程度の分裂状況を改善するというのである。こうして選挙ができる環境を整えば、総選挙を実施し民政へ移管できると見込む。
このまま軍政がつづき消費意欲がもりあがらなければ、空軍の縄張りであるタイ航空ですら赤字からの脱却ができない。赤字の追求をされてアンポン・キッティアンポン会長を退陣させ空軍出身者に差替えた 。だが、再びボードメンバーに戻すなど、いわば持てる者のためのボードという性格のままなのだ。利権構造にメスといれながら、経営改革を進めなければならないのは、まさにタイ経済の構造改革の構図そのままなのだ。
だが、一番の問題は、「総選挙の実施は、対立する勢力同士が和解してからだ」というプラユットNCPO議長の発言自身が自己矛盾だということだ。民主主義に踏みとどまり、危機を乗り切るチャンスを、タイはもう何度も奪われている新憲法を制定し、国民の間の分裂を回避するような一連の改革を行い選挙というフレーズは05年から変わっていないのだ。チャリダポーン・タマサート大学准教授は、「異なる価値観を持つ人びとが共に生きていくための痛みを伴う対話」が逸失してしまったことを嘆く。NCPO支配が長引けば、むしろ対立を煽ることになろう。そして、もし反タックシン派の道具立ての政治監査機関を廃止することなく、タックシン派幹部を不敬罪で有罪にして被選挙権をなくして総選挙をするといった暴挙をするとすれば、アメリカを初め国際社会からの非難は06年の比ではないだろう。デモが激化すれば、戒厳令の意味すらない。
NCPOに限らず、対立が深まっているタイを憂慮する「立法会議」メンバーに求められるのは、「出口」後のビジョンを描くことなのだ。中進国の罠に陥っているタイは、その社会政治構成でも変化が求められていることに対応していなければ、むしろ害になるからだ。
軍は、06年のクーデターで貧乏くじを引かされたとも言われるが、軍事予算を3年で倍に、軍人の人事異動を制服組優位で行える仕組みをつくるなど、焼け太りの様相を呈している。将軍たちは上層社会の一部を構成する。だが、農村出身の兵士は、将軍たちが黄シャツへなびいていることへの反感も強い。つまり、迷彩服を着ていても中身は、隠れ赤シャツ、つまり「スイカ兵士」なのだ。将軍たちも、若手将校がタイ版2.16事件、あるいは韓国の朴型のクーデターを起こす危険を恐れるべきだ。
プラユット議長は、軍のためのクーデターではなく、国民のためのクーデターだと、その正当性を主張する。タックシン派幹部の拘束では、アメリカの圧力もあって早期釈放をしたが、『エコノミスト』もNCPOが国王の最後の影響力を利用して再び「嫌いな政党に政権に担当させないための政治システムの構築」の立法をしていくのではなかと疑っている 。上院に大きな権限を与えるといったことが考えられよう。
だが、タイがAEC創出への旗を振る資格を得るために必要な条件が何であり、ミン事務局長があげたAECの目標として掲げた中産階級を多く生み出さすための政策とは、タイにとってどんなものであるか、という発想から出発しなければ、出口はないのだ。憲法を議論する「立法会議」にも、税制の改革をうたう「改革会議」にも、タックシン派を入れて、税制改革によって財政基盤を拡充し、象徴的には都市交通も、地方とバンコックを結ぶ幹線鉄道の建設もという国土開発ビジョンを示すのである。つまり、軍が予算を策定するにも、凍結されている中進国脱出のための公共投資をどうするかが直ちに問題になる。インラック前首相は、農村経済の底上げになるとして農村と都市を結ぶ新幹線の建設を進めようとしてきた 。反タックシン派は、それをタクシン派の利益誘導だ、財政悪化を招くとして凍結してきた。タイが中心国の罠を脱するにはインフラ投資は必須であり、都市交通の整備で都市の魅力も高め農村人口を減少させることが、都市、農村を通じた国民の利益だということを提唱すべきだ。
こうした国土開発ビジョンの先にあるのが、タイ社会を軟着陸に導く国民・国家ビジョンである。構成する要素が二つあるように思われる。
その一つが、女中を抱えるという中産階級の生活スタイルのギブアップだろう。経済発展が進む中で、いわゆる中産階級の水増しが起こり、それまで農村部から若い女性が家事、子守などのために都市中産階級の家庭に住み込んでいた慣習が多くの国では消えていく。隣のマレーシアも、韓国などと同様のスピードで農村人口が減りそうした慣行は消えた。だが、農業が商業生産として成り立っていたタイでは、農村人口はなお50%を超える一方、ラオスなどからの出稼ぎもあり、家庭内家事のために女中を雇い得ている。
王制の下では、タイが身分社会であることは間違いない。貧富の格差が他国と比較して大きいことも確かだ。だが、タイでは背格好、言葉づかいがまるきり違うという格差はない。農村部の一票は都市住民の半分の値打もないと嘯くこともできるのは、こうした生活スタイルの高みからのことに過ぎない。土着化した華僑は、いわばタイ国民を形成する一部となるはずであったものが、タイ民族の中にはいりこんでいたがゆえにタイ国民を分裂させる力となったという側面もあるのだ。
AECの発展によって、いずれラオス等からの出稼ぎ家事従事者を枯渇させ、タイ都市住民の生活スタイルを変えていくことになろう。すでに、お抱え運転手は都市住民にも無理になった。女中を雇うことも困難になろう。これを先取りした形で新しい中間層の生活スタイルを提示していくことが求められているのだ。つまり、中間層とは、少し豊かな赤シャツを構成するような中産階級以外にないという消極的選択でもある。
今一つが立憲君主制の公式に象徴的な君主をいだく民主主義への移行であろう。民主化が進んだ現在、宮廷政治の発想を捨てるべきなのだ。王党派の見るタックシンの権力は単に選挙基盤が強いだけでなく、皇太子への援助を続ける中でタックシンが次期国王の後見的役割をになうのではないかとの恐れを抱いているとされる。だが、老齢のプーミポン国王は、2.16事件の後の首相を務める広田弘毅に、農村救済をするのに貴顕のインタレストを侵さずにするよう指示した戦前の昭和天皇のように、タックシン首相に対し同じような指示ができず、選挙を無視してしまうという失態を見せた。もはや国民の王としての顔を失っているといえよう。一方、皇太子自身が国王の器ではないとの世評を得ている中で、父プーミポンのように君臨する国王の役割を果たすことは困難だ。そこで王党派も王女で国王を代用しようというのではなく、民主派も王制廃止ではなく、着地点としての象徴としての国王への変化を認め、イギリス型の立憲君主制へと変貌することを目指すべきだろう。大日本帝国憲法が日本国憲法に変わるためには、敗戦と占領軍という圧力が必要であった。主権の変動とは、革命に外ならない。枢密院顧問の諮詢および帝国憲法第73条による帝国議会の議決を、今日のタイの枢密院、NCPOに期待するのは、望蜀というものであろうか。

5.ASEANに「法の支配」を説き続ける

今後のアジアの発展のカギを握るのは、リー・シェロン首相も指摘するように、米中関係と、アジアのナショナリズムの行方だ 。
中国は、周辺国へプレッシャーをかけ続けている。かけることで、その接近を促しているのだ。台湾、韓国などが、その圧力に屈し始めている。韓国はすでに、前の大統領の李明博は統一後の朝鮮半島問題を中国首脳と話し合ったことがあると言明したが、朴恵槿大統領も同じように、中国への傾斜を高めてきた。韓国は、アメリカのアジア回帰宣言にもかかわらず、北朝鮮の核よりもイランの核だと、アメリカの本気度を疑って、アメリカ離れを起こしている。多くの高校生が犠牲になった事件の最中に、韓国の新聞には購買力平価でみた中国のGDPが予想以上に早く達成されるかも知れないとの世銀のレポートが大々的に報道された。中国への接近は正しいのだとの心証を得ようとするものであろう。その意味で、中国への接近は、恐怖が親近感を生むストックホルム症候群が出ていると見ることも可能だが、伝統の事大主義の復したと見るべきであろう。
だが、急速に台頭してきた中国も20年には人口構成の大きな曲がり角に立つ。それ以上に重要なのは、韓国や台湾では一人当たりGDPが5000ドルを超えたあたりで民主化を達成しているのに、天安門事件のために封印されたままの政治改革、民主化への手がかりを示すことができず、対内、対外の政策が硬直したままであることだ。
では、今後の米中関係のバランスはどうなるのか。リー首相は、アメリカのアジアへのコミットメントが本物で、中国もそれに対応し、ぎりぎりのところで依存関係を維持していくというシナリオの展開を期待する。安倍首相の「法の支配」発言を演出している一人と見られる兼原信勝も、関与政策は、短期的には効果をもたないように見えるが、米、欧、日、豪、韓、あるいはASEANとった先進民主国が自ら掲げる価値観と、自らが築き上げてきた普遍的な価値観や国際的な諸制度を守るために、緩やかな団結を保てば、長期的には機能するとの見方を示す 。日本はASEANに「法の支配」を説き続けいていくべきだ。


参考文献等
1 ASEAN Economic Community Blueprint, 2008. なお、2020年の域内総生産の予測は、東アジア・ASEAN経済研究センターによる。
2 日本経済新聞社主催『アジアの未来第20回会議』(2014年5月22,23日)での発言。ミンASEAN事務局長は、2004~2011年に国連ベトナム大使を務めたが、うち08~209年には、ベトナムが初めて国連の安全保障理事会非常任理事国となった際に安保理議長を務め、ダルフール(スーダン)、コートジボワール、シエラレオネ、グルジア、ソマリアの紛争解決に当たり、その手腕が注目された。ミャンマーのサイクロン・ナルギスの被害対応での貢献も、多くが認めるところだ。
3 安倍晋三首相の2013年 2 月22日にワシントンのCSISで行われた“Japan is Back”と題する演説から引用しているが、他にも、法の支配への言及は多い。
4 これは、ウクライナ後に、G8からロシアを追放して開かれたG7でも、対ロ、対中への対抗策として示されるものである。
5 小金丸貴志「安倍政権の「法の支配」に直面する中国」 台灣安保協會主催國際研討會『中國崛起與亞太民主連線的形成』 2013年9月7日。
6  安倍首相は、中国漁船衝突事件から1年を迎えた2011年9月7日に、台湾で開かれたアジア太平洋地域の¬安全に関するシンポジウムに出席し、その講演の中で、中国について言及し、1980年代以降の中国は、国力でその勢力圏が決まるという考え方をとり、まずは経済力に専心したが、最近ではその力をもって他を抑えつけようとしていると、ナチスや旧ソ連に比すべき存在に擬した。
7 Andrew Browne, “Fragile Harmony for Sino-American Relations,” WSJ, Asian ed., May 28, 2014.
8 奥寺淳「歴史・領土で武力衝突懸念も アジア11カ国・地域外交専門家アンケート: 米CSIS調査」『朝日新聞』2014年5月27日。
9 池部亮『東アジアの国際分業と「華越経済圏」』新評論、2013年。
10 4000人の帰国も、帰国命令よりも本人たちが逃げ帰ったというのが実情に近いとされるが、経済規模が大きく、政治優先の中国は、ベトナムが対抗措置をとっても影響は小さいので持ちこたえることができる。
11 オバマ政権の第1期で国務副長官をつとめたジェームス・スタインバーグ・シラキューズ大学行政大学院長は、14年5月14日の日経新聞とのインタビューで、オバマ政権も中国にレッドライン、つまり譲れぬ一線をきちんと示すことが、長い目で見て米中関係をプラスになるとの見方をしめした。
12 通常、華僑は1世、華人を2世以降として区別しているが、本稿では華僑で代表させている。
13  北村由美『インドネシア 創られゆく華人文化』明石書店、2014年。
14 玉田芳史「タイ政治をめぐる外圧と内紛:アメリカによるクーパータオ空港使用を中心として」『国際情勢 紀要』2013年2月。
15 山影進「「新ASEAN」の課題と日本」NIRA『アジアの課題と日本』2008年。
16 玉田芳史「民主化と抵抗:新局面に入ったタイの政治」『国際問題』2013年10月号。
17 ちなみに、Forbes(Thailand) June 14, 2014.によれば、タイの富豪トップ50の総資産は3兆6300億バーツ、2013年のタイのGDP11兆9000億バーツの30%にもなる。
18 柴田直治『バンコク燃ゆータックシンと「タイ式」民主主義』めこん、2010年。
19 外山文子「タイ憲法における「国の基本政策方針」の政治的意味」『アジア・アフリカ地域研究』12(2)、2013年3月。
20 田島裕『外国法概論』信山社、2012年。
21 玉田芳史「混迷深めるタイ政治情勢」表参道・The Wesley Centerでの講演, 2014年 5月 16日。
22 田島裕「「法の支配」の最近の事情」『法の支配』173号、2014年4月。
23 赤字の原因を、2014年の株主総会で、チェケタイ社長代行は、①中国の節約例での中国客の落込み、②デモの対立など混乱による国内客の落込みをあげた。だが、供給の6割を抑えるLCCとの競争へ、持てる者によるボードが十分な対応ができていないことが大きい。ボードメンバーを15人から9名に減らす株主提案は否決された。
24 Economist, 31May 2014.
25 日本の車両メーカーはモデルとなったJR九州を巻き込み、新幹線システムのタイへの売り込みを行ってきたが、インラック首相の失脚、軍事政権の誕生と環境が激変する中で、新幹線建設は困難と見るようになってきている。
26 リー・シェロン「中国は平和的に発展を」第20回国際交流会議『アジアの未来』2014年5月22,23日。
27 兼原信勝『戦略外交言論』日本経済新聞出版社、2011年。兼原は、関与の押しつけ、包囲網が相手側にとって、うるさいもの、軛(くびき)のようなものにも映るだろうとも言っている。

posted by 高橋琢磨 at 11:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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